《喊声》2020年4月

日吉駅の改札を抜けてまず目に入るものは銀色の球体である。人の背ほどの高さのある目玉のような「虚球自像」の視線の先には、銀杏の木の立ち並ぶ日吉の丘が広がっている。

このモニュメントは設置以来25年もの間、大勢の慶大生が日吉キャンパスにやってきて去っていくのを見守っている。

25年というのは実に長い時間だ。しかしそれ以上に、日吉の台地の歴史は途方もなく長い。

100万年以上前、日吉は海の底だった。寒冷化による海退で海から顔を出し、その上に箱根の噴火による火山灰が降り積もってできたのが大倉山から日吉・矢上にかけての丘陵地帯だ。穏やかな日吉の気候のもと縄文・弥生時代の人々は暮らしを営んだ。

かつて丘のふもとには「日吉村」が存在した。現在は市に組み込まれてしまったが、村の住人は日吉の豊かな自然の恩恵を受けていたに違いない。

昭和9年に第1校舎(現在の高等学校校舎)が建設されたが、ほどなくして第二次世界大戦が勃発。校舎を帝国海軍に貸与することになった。終戦後に無事返還され平和な学生生活が再開された。

途方もなく長い歴史の上に日吉キャンパスはある。「虚球自像」に見守られながら、日吉という美しい土地がこの先何百年も栄えることを願う。

 

(村瀬巧)