秋空が晴れ渡った11月22日から24日、三田祭と期間を同じくして、東京大学の学園祭「駒場祭」が開催された。期間中、駒場キャンパスでは多様な催しが行われ、来場者を楽しませた。そうした催しの一つとして、弊会と同様に学生の視点から取材・執筆活動に励む「東京大学新聞社」が主催するシンポジウム『ヒバクシャ・ガクシャと考える原爆の記憶』が開かれた。このシンポジウムは、原爆の記憶をどのように引き継ぐのかという重い問いを、若い世代に投げかけるものだった。弊会もこの問いを広く共有すべきだと考え、本シンポジウムを取材した。この記事を通して、読者の皆さんにも当日の議論の一端を感じ取っていただければ幸いである。

●語り尽くせない記憶とそれでも語る理由
シンポジウムには、日本原水爆被害者団体協議会事務局次長の和田征子さん、東京大学大学院情報学環教授の渡邉英徳さん、東京大学名誉教授の末木文美士さんが登壇した。多数の来場者で会場が埋まる中、シンポジウムは和田さんの話から始まった。
和田さんは、長崎で被爆した母親から聞いた体験をもとに、原爆が人々の日常をいかに破壊したかを語った。爆心地から約2.9キロの地点にあった自宅周辺には、助けを求める人々が押し寄せ、井戸の周りには負傷者があふれたという。遺体が道路に放置され、毎日それらが焼かれていく。そうした光景が「特別な惨事」ではなく、「日常」になっていったと述べた。
印象的だったのは、和田さんが「だんだん感覚が麻痺して、何も感じなくなっていった」と語った点だ。しかしその一方で、和田さんの母親は「人はゴミのように焼かれるために生まれてきたのではない」と言い続けていたという。和田さんは、こうした証言を語るたびに「もっと母から話を聞いておけばよかった」という後悔に苛まれると明かし、「記憶が誰にも語られなくなること」への強い不安を口にした。現在、被爆者の平均年齢は86歳を超え、そのうち毎年約1万人単位で亡くなっていっている。和田さんは「私がいくら話しても、あの時の惨状は語り尽くせない」と述べつつ、「それでも話し続けなければならない」と訴えた。その言葉は、会場に集まった若い世代に向けられた切実なメッセージだった。

●記憶を保存するのではなく出会わせる
続いて登壇した渡邉さんは、被爆者の証言をどのように後世へ伝えていくのかという課題に対し、デジタル・アーカイブの可能性を提示した。
渡邉さんが開発した広島・長崎のデジタルアーカイブでは、地図上に当時その場所にいた人々の顔写真を配置し、それぞれの証言にアクセスできる仕組みが構築されている。空間と記憶を結びつけることで、過去の出来事を「遠い昔の話」ではなく、「具体的な生活の記憶」として捉え直すことができるという。
また、子ども向けの取り組みとして、戦前の街並みをマインクラフト上で再現する試みも紹介された。楽しげな日常を追体験した後、原爆投下という出来事に向き合うことで、子どもたちは「その後、何が起きたのか」を自分事として考えるようになるという。渡邉さんは「デジタル化は記憶を単に保存するためのものではなく、世代を超えて出会わせるための手段だ」と語った。

●「死者」とどう向き合うのか
最後に登壇した末木さんは、より根源的な問いを投げかけた。戦後の日本社会は、原爆や戦争による「死者」の問題を、政治や外交の問題として扱う一方で、私たち自身の問題として考えることを避けてきたのではないかと、指摘したのである。靖国神社の問題にも触れ、「戦争で亡くなった人々をどう受け止めるのかという死者の問題として、原点に立ち返って考え直す必要がある」と述べた。
記憶は世代を重ねるごとに薄れていく。しかし、東日本大震災などを経験した私たちは、死者を無視して生きることができない時代に生きている。末木さんは「過去の死者とどう語り合うのかは簡単な問題ではないが、それでも向き合わなければならない」と語り、問題意識の重要性を強調した。

●若者に託される記憶の継承
シンポジウムの最後に、和田さんは「今日の聞き手は明日の語り手」という言葉を紹介した。被爆者の声に対し「同情」で終わらせるのではなく「共感」し、それぞれができる形で行動に移してほしいというメッセージである。
被爆者の声を直接聞ける時代は、確実に終わりに近づいている。そのとき、原爆の記憶は歴史の中に埋もれてしまうのか、それとも新たな語り手によって引き継がれていくのか。本シンポジウムは、その分岐点に私たち学生が立っていることを示していた。大学の垣根を越えて共有されたこの問いに、私たちはどう応えていくべきか。若い世代一人ひとりが、その答えを考え続けていくことが求められている。
※東京大学新聞社のウェブサイト「東大新聞オンライン」では、シンポジウムに関する記事を含む、さまざまな記事が配信されている。本記事を読んで東大新聞に興味を持った方は、以下のリンクから是非記事をお読みいただきたい。
(成沢緑恋)