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この特集を目にして、なぜ学生である我々が、このタイミングで「塾長選挙」を記事にしたのか、と思った読者もいるかもしれない。今年6月号の特集記事を読んだことがあれば、「またか」と感じられたであろう。

だが、塾生として、この「塾長選挙」は向き合うべき問題であると考え、発行に至った。

なぜ、塾生がこの問題を取り上げたのか

先の記事で示した、2010年5月に慶應義塾常任理事会が発した「今日の慶應義塾におけるガバナンスのあり方について(本稿)」は、ガバナンスの見地から問題とされるべき事態の代表的な事態の一つとして、「組織としての意思決定過程の透明性、情報の公開制が欠如し、ステークホルダー(学校法人にとっては、とりわけ・学生・生徒たち)への説明責任が果たされていない場合」としている。ここに、「学校法人にとっては、とりわけ・学生・生徒たち」と明記している以上、一ステークホルダーとして「塾生が」考えるべき問題と考える。

大学の果たす「社会的責任」

2014年に学校教育法と国立大学法人法が一部改正された際に文科省が関係者向けに提出した通知の中では、大学には多様なステークホルダーに対して果たすべき社会的責任があるとしている。また、そのために「大学運営に権限と責任を有する学長(注:ここでは大学の理事長などといったトップ)が、教育研究評議会や経営協議会、理事会・評議員会、監事などの機関を有効に活用しながら、それぞれの大学が果たすべき役割を的確に捉えた上で、自らの説明責任を果たし、透明性の高い大学運営を行っていく」ことを求めている。

私立大学の「透明化」はどこまでか

国立大学については、学長選考の透明化を図るために前の記事で述べたような要件を満たすことを要請している。国立大学法人法の対象でない私立大学の場合はどう考えればよいのであろうか。

同通知で、「学長の選考については、私立大学においても、建学の精神を踏まえ、求めるべき学長像を具体化し、候補者のビジョンを確認した上で決定することは重要であり、学校法人自らが学長選考方法を再点検し、学校法人の主体的な判断により見直していくこと」とある。

慶應義塾における「学長の選考」に関わる「建学の精神」は、「社中協力」であろう。

「社中協力」の姿

慶應義塾では、学生(塾生)、卒業生(塾員)、教職員など、全ての慶應義塾関係者を「社中」と位置づけている。この「社中」が一丸となって義塾を維持していこうという考えが「社中協力」だ。ここには、「学問に終わりはないからこそ、義塾で学んだ者は生涯同志である」という福澤諭吉の考えが根底にある。

試される「社中協力

卒業生を中心に構成される評議員会が慶應義塾の最高議決機関に位置づけられているのは、この「社中協力」の理念が反映されているからだ。都倉准教授は「評議員会と学内が相互に緊張感を保ちながら尊重し合う中でお互い議論し合うというのが本来のあり方で、それが良き伝統」と語る。

しかし、現制度のもとの状況では、評議員会・銓衡委員会の議事録は公開されず、選出に至る議論について説明を求める声にも応じていない。

たしかに、銓衡委員会の構成は教学部門と卒業生が半数ずつでありバランスがとれていると考えられるかもしれない。だが、その銓衡委員会に箝(かん)口令が敷かれている(注:評議員会議事録からも確認されている)事実から、果たして「社中協力」といえるだろうか。

いわば「排他的な」社中のもと現制度を続ければ、4年後同じことが起こるのは目に見えている。今「社中」と呼べる人々は数多く存在している。共に慶應義塾の道をつくっていく社中に目を向け、塾長選出の透明化を図るべきではないか。

この延長線上には新しい制度があるだろう。国立大のように、選出のために学長に求められる資質をあらかじめ公開する。選出に至る議論を説明できる制度を整える。早大のように、学生信任を導入しても良いかもしれない。

まずは今、我々は一ステークホルダーとして、「社中」の一員として、「塾長の選出」についての説明を求めたい。

この特集の記事:
「塾長選挙」を一からわかりやすく
【塾生アンケート】今回の塾長選挙について
専門家の眼から見た「塾長選」
塾長選出過程の歴史的変遷 ―坂西隆志氏の論文による考察
・論説:「社中」の一員として説明を求める(当記事)

 

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