デビュー44年目となる今年、『Quiet Life』発売30周年アルバムを発売した竹内まりやさんは、慶大文学部英米文学専攻に在学していた過去を持つ。いくつになっても多くの人々の心を掴む楽曲を生み出し自分らしく生きる竹内さんに話を聞いた。

竹内さんは慶大でのサークル活動が現在の音楽活動のきっかけになっているとお聞きしました。サークル活動での思い出をお聞かせください。

趣味でバンドやりたいなあとはずっと思っていたので、「リアル・マッコイズ」(現RealMcCOYs)という、いろんな音楽ジャンルのバンドが集合しているこのサークルに迷わず入りました。二つ上の先輩に杉真理さんがいらしたのですが、入部まもなく彼から誘いを受け「ピープル」というバンドに入れていただいて。数年後、杉さんはスカウトされてプロデビューすることになったんですね。同じバンドにいた流れから、彼のアルバムでコーラスを何曲かお手伝いすることになり、それがきっかけで私も業界の方からデビューへのお声かけを頂きました。だから慶應大学でマッコイズに入り杉さんと出会ったこと、そして彼のレコーディングに参加したこと、それがなければ今の職業には就いていないわけですから、運命とは本当にわからないものですよね。

慶大の印象や、キャンパスでの思い出を教えてください。

(慶大は)あの時代の風もあるとは思うのですが、最初に通った日吉キャンパスは、とにかく明るい活気に溢れた学校という雰囲気がありましたね。サークルの友だちや先輩たちも陽気で活発な感じの人たちが多かったような気がします。
当時日吉駅の近くに「たんぽぽ」という喫茶店があって、サークルの練習帰りに皆で集まってご飯を食べたりお茶を飲んだりして。そういうたまり場的な場所で、音楽について語りながらワイワイと過ごした時間は、今でも楽しい思い出です。
ロングヘアの男子や、西海岸ルックの女子たちがいる日吉には若さが溢れていたけれど、三田キャンパスに行くようになってからは、皆次第に就職活動のための大人っぽい格好になっていくのを見て、なんか今いちロックじゃないなぁと思ったりしてね(笑)。こうやって大人になって就職していくんだ、と思いながらも、そうなれそうもない自分は、だんだんと取り残されていくような不安な気持ちを抱えていましたね。
キャンパスでの思い出で一番に思い浮かぶのは、学食のたまり場での光景でしょうか。授業をサボっては、サークルのみんなと集まってギターを弾いて歌ったり、おしゃべりしたり、冷やし中華を食べたりしていた、ごくたわいもない時間。今思えば、それがどれほど贅沢な時間だったのかがわかるんですけど。

在学中に音楽の道に進むことを決めた心境や苦悩いかがでしたか?

音楽そのものはずっと好きでしたが、だからといって歌手になりたいとは思ってもいなかったし、音楽雑誌の編集者を目指すとか、旅行会社に入るとか、最初は普通に就職することをまじめに考えていたんです。音楽業界や芸能界のような、明日の保証もない職業につくのってどうなんだろうって思いもあって。
ところが、授業も出ずにバンド活動に夢中になりすぎたため必修科目のフランス語を落としてしまって、2年に上がる時にみごとに留年したんですね。それまですごく頑張って、受験もうまくいったのに、なんだかそこで人生の落伍者という烙印を押されたような気がしてしまいました。高校時代の留学で皆より1年遅れているわけだし、さらに留年となると、就職するには絶対に不利だろうと思いましたね。「しょうがないな、本当に将来どうしようかな」と迷路の中にいました。
でも、その後業界の人たちとの出会いやつながりによって、結果的に一番好きだった音楽の仕事を選ぶことになったわけですけど、多分運命の神様があなたは音楽やりなさいって、あそこで導いてくれたんじゃないかな。だから、あの留年がなかったら、私は歌う仕事に就くことも絶対になかったわけですよね。デビュー以降仕事が多忙になりすぎたため、結局は卒業できなかったけど、自分を天職に導いてくれたという意味でも、良き出会いを私にくれた慶應大学には今でも感謝しています。

高校時代には留学も経験されていますが、大学生活やその後に活きたことはありますか?

高校3年生の時に、「AFS(アメリカンフィールドサービス)」の試験を受けてイリノイ州に1年間留学をしました。留学生活の中で得たことは数限りなくありますが、たとえ言語や文化が違っても「人間が人間として感じることは根源的に変わらない」ということを、生活を共にすることで、身をもって実感できたことです。楽しいことを楽しいと感じ、悲しいことを悲しいと感じる…それは世界中どこでも同じだということが実体験を通してわかったというか。だからホストファミリーとも友人ともお互いに愛と思いやりを持って、一年間本当に幸せに過ごせました。彼らとは今でも深くつながっています。それが留学生活で私が得た一番の収穫。また、デビュー後も、海外でレコーディングをしたりする際、外国人ミュージシャンと積極的に交流するのに、やはり留学経験が役立ちました。

大学時代には、何かアルバイトをされていましたか?

アルバイトはいっぱいしましたよ!当時時給350円だったファストフード店に始まって、映画やドラマのエキストラもやりましたし、CM撮影の現場で外国人モデルの通訳をするバイトとかも。給料はもっぱらレコードと洋服に使いましたが。麻布台にある東京アメリカンクラブのメインダイニングで、英語で注文を取るウエイトレスもしました。ここはお給料がすごく良くて周囲の皆さんも親切で、のちに私がここで結婚披露宴を開いた時に、昔の仲間がお祝いに来てくれたのには感激しました。いろんなアルバイトで社会勉強をしましたが、とにかく自分で1万円を稼ぐのがいかに大変かっていうことを、あの時代にしっかりと実感しましたね。

歌手活動を振り返ってみていかがですか?

デビューした当初は他の人が書いた楽曲を歌うだけでしたが、そのうちしだいに自分の言葉とメロディで曲を書きたい、じっくり時間をかけてレコーディングをしたいと思うようになりました。仕事のあり方というか、活動形態が自分の本意とするスタイルではないと思うこともあったし、自由な時間もだんだん少なくなっていきました。3年目で疲れたな、もう辞めたいなと思いながら、本当に自分がやりたい形で音楽活動をする方法はないのかなと、ずっと考えていましたね。
そんな中で夫(山下達郎さん)と出会って、結婚を機に27歳で一旦「休業」させていただきました。この休業が私にとっては大きなターニングポイントでした。同業者である達郎の助けもあって、自分が本当にやりたい形での音楽活動がようやく実現できるようになりました。普通の主婦として、母親としての人生を歩みながら、その都度ひらめくメロディや言葉を歌にしていく生活。そして数年に一度アルバムを出すのみという、その活動スタイルこそが自分に一番合う仕事のやり方だとわかったんですね。
とはいえ、休業前に試行錯誤し悩みながら活動したことや、芸能界寄りの仕事を体験したことも結果的にはすごく良かったんですよ。人生いろんな選択肢があるわけですから、いろいろと試してみないと自分に何が合うかはわからない。若いということは、そんな試行錯誤するための時間がたくさん与えられているということでもありますよね。

竹内さんから、現代の若者はどのように見えていますか?

今の若者たちを見ていて大変そうだなって思うのは、我々の時代には存在しなかったSNSがあることでしょうか。もちろんすごく便利だし、それなしには実現できないこともたくさんあるけれど、情報の獲得法一つを取っても、昔は自分の労力を使って得ることでしっかりとインプットされたり、深く入っていたような気がして、そういう感覚を持ちにくくなっているんじゃないでしょうか。情報はただでさえ飽和状態なのに、そこにさらに新しいものがどんどん入ってくるので、その取捨選択を自分でしっかりしないと情報に振り回されることになってしまう。便利なようで不便かもしれないその環境で育ってきたZ世代には、バブル時代に青春を生きてきた世代と比べてピュアな人が多い気がしますよね。苦労を知っていて、現実に過大な期待をしないというか。だから、私はその世代と話したりするのがすごく好きなんですよ。

竹内さんは山下さんと結婚後二人三脚で歩まれてきたとお聞きしました。現代、「結婚」に関する価値観が急激に変化する中で、竹内さんは結婚についてどのようにお考えですか?

こればかりはご縁のものですし、個人によって価値観さまざまでいいと思います。私たちの場合、たまたまお互いに人間としての相性が良かったおかげで、40年連れ添ってこられた気がします。相手に合わせようとか合わせてもらおうとか、そういう努力をする必要がない人だったことがラッキーでした。結婚するしない、どっちがいいというわけではないし正解もないですが、私自身は結婚を選んで良かったと思いますし、子育てや家事のために仕事をセーブすることになっても全然嫌じゃなかったですね。

就職活動を目前にし、進路に悩んでいる塾生も多いです。彼らへのアドバイスはありますか?また、塾生全体に一言メッセージをお願いします。

就職ということでいえば、自分の若い頃を振り返ってもわかりますが、好きなことでないと結局続かないんですよね。世間的に正しく思えることであっても、自分に無理を強いたら絶対に続かない。人間は常にないものねだりをする習性があるので「ここではないどこかにもっといいところがあるはずだ」とか、「自分より他の人の方がうまくやっているんじゃないか」と思いがちですが、どんな道を選んでも、皆それぞれの立場で大変です。ならば、本当に好きだと思えることを仕事にする方が長く続けられるはず。就職とは関係ないかもしれませんが、私の個人的な人生哲学の一つに、日常をおもしろがれる人間でいよう、というのがあるんです。日々の何気ないことの中に楽しみや幸せを見つける努力をしてみる。1日を終えた時に今日も元気でありがたいな、あんなことがおもしろかったな、あの人と話せてよかったな、なんて思うことを大切にする。そんな毎日の小さな積み重ねが人生を作っていくんですよね。

慶應義塾は長い歴史を持つ自由な校風の大学です。創立者である福沢諭吉先生の言葉に「自分の力を発揮できるところに、運命は開ける」「今日も生涯の一日なり」という素敵なフレーズがありますが、それはまさに私の伝えたい想いと重なります。この学校に通えることを誇りにしながら、皆さんそれぞれに素晴らしい未来を見つけていって下さい。応援しています!

 

移ろいやすい現代で、日々将来への不安を抱えながらも毎日を粛々と紡いでいく我々塾生の心に竹内さんの優しい言葉は柔らかく響いた。無駄な1日などない。今日もまた面白かったと思って眠りにつけるように、元気を出して、毎日を精一杯生きよう。

(小島毬)