こんにちは!塾生新聞会旅行記連載の第4回目を担当しますおいりソフトクリームです!(おいりは西讃岐で生産されるあられの一種です)普段も旅ばかりしています。旅ができないときは、計画を立てることを楽しんでいます。最近はミラーレスカメラを買ったので、旅が何十倍も楽しくなりました。

今回は、個人的に旅の醍醐味の一つだと思っている一期一会の出会いについて書こうと思います。場所は熊野古道中辺路(写真①)。所々バスを使いながらも、1.5日間かけて紀伊山地を35kmほど歩き、熊野本宮大社を目指しました。

写真①

1日目

夜行バスで和歌山駅、JR特急で紀伊田辺駅、路線バスで栗栖川バス停と、12時間移動し、古道歩きのスタート地点へ。

舗装された道を30分ほど登ると開けた場所に出た。

この旅最初の出会いは、民宿のご主人とフランス人の奥様だ。なぜ、フランス人がこんな山奥に?叔父に連れられて田辺に来たご主人のもとにボランティアで来た彼女と会い結ばれたという。彼女が地元のおじさん、おばさんと雑談している姿は我々にとっては新鮮だった。同時に、日本の田舎の魅力に魅かれ、地元の生活に溶け込んでいる彼女の姿は日本人として誇らしかった。和歌山のみかんを使ったみかんジュース(写真②)をいただき、険しい山道に挑む英気を養った。都会には決してない優しさを持つ夫婦に別れを告げ、ひたすら山道を進んだ。僕ら以外に歩いている人はいなかった。4時間以上誰とも会わないなんて、都会に住む人は決して経験できない。

写真②

 

1日目の宿は紀伊山地の中心に位置する小さな盆地、近露(写真③)だ。花山天皇の熊野詣のとき、食事をしようとして箸がなかったので、萱の茎を折って箸にし、落ちる赤い汁を見て「これは血か露か」と言ったことに由来するという。コンビニは当然なく、地元スーパーと郵便局、茶屋、宿が数軒ある小さな村だ。

写真③

 

2つ目の出会いは宿のご主人と奥様だ。宿泊客は僕らだけだったこともあり、手料理を食べながらお話をした。熊野古道はコロナ禍以前、外国人観光客しかいなかったという。英語を話せないご主人と奥さんも身振り手振りで必死に伝えていたという。食材をどこで買っているかなど、普段の生活を垣間見ることができた。地元の食材をふんだんに使用した手料理をおなか一杯いただき旅の疲れを癒した。翌日の朝は3月にもかかわらず、盆地性の気候のため氷点下まで冷え込んだ。

 

2日目

朝7時、ご夫婦が作ったお弁当を持ち出発。10時間かけて熊野本宮大社を目指す。僕らを含め、4組が24kmの同じ行程を歩んでいた。

そのなかに山登りに慣れていそうなおじさんがいた。彼が3人目の一期一会である。彼は自分の名刺の肩書きに「漂流者」と記している。理由を尋ねてみると、課長、部長、教諭などの肩書きは人から与えられたものだ。自分だけの肩書きを持ちたいのだという。定年後、自分を表す言葉として最もしっくりくるのが「漂流者」だったという。かっこいいと思った。名刺の裏には「趣味・夢中になっていること」や「大切にしていること」が記してあった。自分のアイデンティティをさらけ出した正直な名刺に感動した。彼とともに6時間近く歩いた。人生経験や旅した場所の話、以前旅先で出会った人の話などたくさんのお話を聞いた。すべてを頭で記憶しているわけではないが、僕の人生観や旅への考え方に大きな影響を与えたことは間違いない。目先のことばかり気にしがちな大学生には是非聞いてほしい話だったと思う。またどこかで出会えるだろうか。出会ったときには自分だけの名刺を渡せるような人間になっていたい。無事熊野本宮大社(写真④)に到着し、35kmの旅は終わりを迎えた。

写真④