「Jリーグが開幕してから自分を取り巻く環境がガラリと変わった」と松本山雅FCの反町康治監督(54)は語る。

Jリーグ設立以前、サッカーのトップリーグは、プロとアマチュアが混在した実業団によって形成されるJSL(日本サッカーリーグ)であった。

反町監督(当時選手)は午前中に仕事、午後は練習という生活を送っていた。休日はリーグ戦があったため、かなりハードなスケジュールだったという。

プロリーグへの移行期、サッカーのチームとしてはプロになるが、企業の社員として契約しながらチームに所属する選手も多くいた。全員がサッカーのみに集中するプロに急になれるわけではなかった。

いつ職を失うかもわからない、厳しい競争の中であえてプロの道を選択することには相当な覚悟が必要だ。反町監督自身、5年以上続けている仕事を捨ててまで、今後が不透明なプロになることは果たして本当に正しいことなのか、という葛藤があったそうだ。

しかし、Jリーグが始まってからは、観客が2‌0‌0‌0人ほどしかいなかった試合に10倍以上の人が集まるようになり、信じられないような光景に驚いたという。注目度も上がり、周りからの目線、練習環境が大きく変わった。JSL、Jリーグ両方を最前線でプレイヤーとして経験したため、開幕後25年間の日本サッカーの移り変わりをより実感している。




現在、サッカー界全体は確実に良い方向に進んでいる。しかし、今後さらに高みを目指すためにどうするかを考えなければいけない時代に突入していると語る。Jリーグ発展のため監督として必要なことは、地域の方々に愛されるチーム作りだと考えている。例えば、サッカー教室を開き、実際にサッカーに触れ楽しさを知ってもらうこと。メディアからの取材も積極的に受けることで地域の人々にチームへの興味を持ってもらうこと。このような地域活性化に繋がる活動を行うことが大切だと述べた。

「試合に勝ち、喜びを分かち合うことが一番だが、他でも地域の方々に喜んでもらえるようなことを率先してやっていく。多くの人に夢や希望を与えられるように周りの声に応えていきたい」と監督としての思いを見せた。

サッカーが日本で注目を浴びなかった時代から、今や国民的人気スポーツとなり得たのは、これら一つ一つの努力の積み重ねがもたらした結果だろう。

 

(石嶺まなか)


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