地震は私たちからかけがえのない暮らしを奪っていく。熊本でもそうだった。一年前の4月14日に未曽有の大震災が起きるまで、熊本の人たちは私たちと何一つ変わらない平穏な暮らしをしていたはずである。しかし地震は人びとの最も大事なものを破壊してしまった。例を挙げれば枚挙にいとまがない。震災の影響は多方面に深く及んでいる。そして、今も苦しんでいる人がいるという事実だけが重くのしかかる。

熊本城は石垣が崩れ落ち、以前の荘厳な姿の影もない。ボランティアのガイドの人にお城の周りを案内してもらったが、お城の中に入れるのはまだ先だという。住民のライフラインの一つである電車も甚大な被害を受け一部区間で運休。阿蘇地区に住んでいる人たちは臨時のバスでの移動を余儀なくされている。中には高齢者の方もいて病院に行くのに支障をきたしている。

そして、一番被害が大きかったのが益城町だった。町中の至る所に地震の爪痕が残っていた。家屋が押しつぶされたように倒壊していて、復興が進んでいないのが現状だ。メディアを通して目にしていた光景だが、あまりの悲惨さに言葉を失ってしまった。

私は、東日本大震災を直接的には経験しておらず、ましてや今回の熊本地震はただの傍観者として事態を見守っていた。世間の関心は時間の経過とともに薄れていくものだが、被災者の方々の時間は止まったままである。実際に自分で足を運んで取材するまで、私もそんな「世間」の一員として、メディアで報道されるニュースを受動的に受け取っていた。

しかし、新聞やテレビを通しては決して伝わってこないものも知ることができた。復興を願う人たちの想いだ。テレビなどで特集されているのを何回か見たことはあったが、実際にそこで奮闘している人の復興に対する想いを聞いて胸を打たれた。実際に現地に赴いて直接被災者の話を聞けることは貴重であり、とてもいい経験だった。そして、我々メディアには被災者の方々の力強さを伝える責任がある。その、極めて概念的な「想い」を記事という形で発信することが、我々なりの復興支援なのではないか。

自然災害は理論的に説明できるものではなく、超科学的な現象である。事前に予告もされなければ、躊躇なく襲いかかってくる。頭の片隅では分かっていることだが、自然の力を改めて認識した取材となった。そしてそれ以上に、人間の強さを知ることができた。

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今回は塾生新聞会の代表として熊本に足を運び、震災の被害を大きく受けた地域を訪れました。突然の取材にも関わらず、快く答えてくださった皆様にこの場を借りて感謝を申し上げます。そして何より被災地の1日でも早い復興を願ってやみません。
(長谷川裕一)