慶應塾生新聞会 三田オフィス

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塾生、ヨセミテに挑む②

幸い、その後15分ほどでエル・キャピタンからの手荒い歓迎は止んだ。胸に4センチほどの氷が当たったものの、目立った怪我もなく再び登り始めることが出来た。ギアに頼るエイドクライミングと、素手のみで登るフリークライミングを交互に切り替えながら、12時前には最初の核心の5ピッチを登り終えた。

ここから先は通称トラバースと呼ばれる、横移動の動きが連続する。ジェレッドとリーダーを交代し、1日目のキャンプを目指す。このセクションで、かなり時間がかかってしまった。グレードとその見た目に反して、繊細なムーヴが要される。横に移動するため、落ちると最後のプロテクションを支点に振り子の様に振られながら落ちることになる。リードラインにテンションを張り、はるか遠くに見える地上の木々を見下ろしながら、美しい斑の垂壁面を慎重に踏んでトラバースする。1日目のキャンプ、Dolt Towerまで120メートルほどを残し、すでに5時を回っていた。だんだん辺りが暗くなり始める。ここでリーダーを交代し、のこりのピッチを自分がリードする。

前回のハーフドームに比べて、気温がかなり低い。触れる指から熱を吸い取るように、岩が氷のように冷たい。12月のヨセミテはシビアだ。ギアに頼らず、いっそフリーで登ったほうが早いと判断し、ヘルメットに付けたヘッドランプの照明を最大にして気合を入れる。まったくアメリカに来てから何度ヘッドランプを付けてのフリークライミングをしてきただろうか。寒さからか恐怖からか、クラックにしっかりジャミングをきめた足も小刻みに震える。いくつかのランナウトを乗り越え、頑丈そうなボルトのビレイ点にたどり着いた。

登っている途中、視界に流れ星を幾度となく見た。氷点下の夜空はこれでもかというくらい澄んでいた。15リットルの水と食料が入ったホールバッグを引き上げながら、眠くなり始めた頭の中でいろいろな思いをめぐらせる。クライミングのシーズン的に、これが今年最後のヨセミテになるだろう。ビッグウォールを目指し始めた頃の自分が、地上すら見えない暗闇の中ツルツルの花崗岩をレイバックするなどと想像出来たものか。このペースだと、3日で登りきることは不可能だろう。そういえばさっき確認した予報では3日目の午後からストームに変わっていた。そんなことを考えながら、一日の最後のピッチを登りきり、十分な広さのレッジに到達した。

時刻は10時を過ぎ、予定よりもかなり遅くなってしまった。寒さと疲労がピークに達し、ハーネスにギアをつけたままストーブでお湯を沸かし始める。山を登ったことのある人なら分かるはずだが、山でつくる料理ほど美味しいものはこの惑星に存在しない。絶壁の途中に座り込んだ独身エンジニアと日本人留学生がこの日の夕食に選んだのは、カロリーの高いマカロニチーズだった。一口食べる度に、安堵と愉悦のようなものが声になって漏れる。エアパッドと寝袋をホールバッグから取り出し、平らな場所を見つけて横になる。鮮明すぎる星空をまた眺めては、暇なときに星座でも勉強しておけば良かったと後悔した。

翌朝我々が起きると、眼下にはクライマーだけが味わうことのできる絶景が広がっていた。昨日は登ることに夢中で、この冬のヨセミテバレーの様子をゆっくり楽しむ余裕がなかった。我々は頂上を諦めここで降りることに決めた。なにより最終日のストームというのが一番の理由でもあった。1984年11月に日本人2人のパーティーがこのルートでストームに見舞われ、頂上まであと数メートルのところで凍死する事故が起こった。過去の事故例に学び、退くところを判断ができるかというのもこのスポーツにおける重要な要素のひとつである。岩は義務感で登るものではない。本能のままに身体が愉しみを感じられる環境で行うのが、ロッククライミングであると僕は信じている。

今は無事に降りてこられたことに満足であり、当分の間はビッグウォールと呼べるサイズを登ることはないだろう。日本に帰って、ビッグウォールの魅力にとりつかれた後輩でも現れたら、またあの頂上を一緒に目指すのもいいだろう。ひとまず、山岳部の仲間たちに「お前強くなったな」と言わせることを目標に、これからもトレーニングを続けていく。
(寄稿:駒井祐介さん)