チョン・セラン著・斎藤真理子訳、『フィフティ・ピープル』を紹介する。チョン・セランは韓国の作家だ。彼女は純文学からSFやファンタジーまで多彩なジャンルの作品を発表している。軽い文体で読みやすいが、決して軽薄ではない。まさに韓国文学の入り口に立つ作家だ。彼女の作品をぜひ一度手に取ってほしい。

私は人間観察が好きだ。通りすがりの人や同じ電車に乗り合わせた人たちを見て、さまざまなことを想像する。今日はどんなことがあったのか、この2人はどんな間柄なのかなどなど。名前を知らない人たちにも人生があり、おそらく私とは違ったふうに世の中を見ているのだと思うと不思議な気持ちになる。そして、自分はこの人たちにとって重要な存在ではないかもしれないが、彼らの人生の一場面に登場しているのだとも考える。偶然見かけた人の立ち振る舞いを真似したり、反面教師にしたりするように、自分も誰かに影響を与えているかもしれない。人間観察は行き交う人と人との緩やかなつながりを浮かび上がらせてくれる。人と深く関わることはあまり得意でないが、こうして適度な距離でつながりを感じられることは心地いい。

話は大きく変わるが、ここ数年、日本では韓流ブームとともに韓国文学の人気が高まっているそうだ。私も半年くらい前に韓国文学の「沼」に落ちた。きかっけは『完全版 韓国・フェミニズム・日本』を読んでから。人生で初めて「沼」に落ちる経験をした。それまでは自分のことをアニメや漫画、アイドルといったものに熱中したことのない、空っぽな人間だと思っていた。しかし、今ではすっかり韓国文学のとりこだ。日韓の国内に抱える問題や社会の空気感がとても似ているところが面白い。好きな本や、これから読んでみたい本を挙げるときりがない(『大都会の愛し方』や『屋上で会いましょう』、『仕事の喜びと哀しみ』など)。韓国について知りたいと思い、大学では韓国の近現代史の授業を取り始めた。

月に一度、東京・神保町にある韓国書籍を専門に扱うブックカフェ、「CHEKCCORI(チェッコリ)」へ本を買いに行く。いつも買うのは翻訳作品ばかり。実際に行ったことはないのだが、ここに来ると少しだけ韓国にいるような気持ちになる。店の人同士の会話が韓国語と日本語で、韓国の音楽が流れている。また、作家へのインタビュー記事や韓国文学ガイドが掲載された小冊子を無料で配布していたり、頻繁にイベントを開催していたりする。本を探していると心が満たされ、つい買いすぎてしまう。3冊から5冊くらいまとめて買うのがお決まりだ。

CHEKCCORIで初めて買った2冊のうちの1冊が『フィフティ・ピープル』だった。『完全版 韓国・フェミニズム・日本』のブックガイドや現代K文学マップを見て、前々から買いたいと思っていたものだ。あと1冊はCHEKCCORIを運営する出版社の人が薦めてくれた、『夜よ、ひらけ』を買った。お会計のときには、店の人から「韓国文学の沼へようこそ」と笑顔で声をかけられた。言葉の通り、私は「沼」に落ちた。食事も忘れる勢いで本に没頭し、2冊を1週間ほどで読み切った。読み終わって数日間は本の余韻が続く。でもしばらくすると、もっと他の韓国文学を読んでみたいと脳が欲して、うずうずするのだ。おかげで私の小さな本棚にはもう空きがない。

さて、『フィフティ・ピープル』は大学病院を中心に緩やかなつながりをもつ51人(数え方によって増えるらしい)の物語だ。物語全体を通して主人公になる人はいない。51人みんなが主人公だ。彼らは職業も境遇も異なる、実在しそうな人たちだ。一章ごとに一人の主人公がいて、それぞれの人生の一コマが彼ら自身の視点で表現される。各章は10ページほどだが、一つ一つの内容が濃い。韓国で起きた事故・事件、社会問題をもとにした話から日々の小さな喜びや悲しみ、心情の変化を描いた話まで幅広い。そして、ある章で主人公だった人物が脇役として別の章に登場し、互いにすれ違ったり、影響を与えたりと交差する。読み進めるうちに街の姿や登場人物の人間関係が平面から立体へと生き生きと浮かび上がっていく。まるで現実の続きがあるかのようだ。

筆者はすれ違うくらいの人びとへの親近感を、「同僚への親近感」、「それぞれ違う方角に向かって探検しているときに道が交錯した極地探検家どうしが感じるような好意」と表す。私も本の中に2人の「同僚」を見つけた。2人とも私と置かれた状況が似ていて、年も近い。彼・彼女の声に共感し、応援したくなった。人間観察をしていても、日常生活を送っていても「同僚への親近感」が沸くことはよくある。相手は年が近かったり、離れていたりとばらばらだ。例えその人がどのような人で、どのような感情を抱いているかはっきりわからなくても、想像することはできる。「同僚」と同じように怒りを覚えたり、あたたかい気持ちになったりする。すれ違う誰かに思いをはせるとき、ふと思う。社会をつないでいるのは目に見えない緩やかな連帯なのかもしれないと。

他者について想像することは、ときに苦しみを伴う。自分の弱さをまざまざと思い知らされ、心の傷が疼くこともある。しかし、苦しみを和らげてくれるのも他者への想像力、「同僚への親近感」ではないだろうか。『フィフティ・ピープル』を読み、考えた。日常に追われていると、このようなことを考える余裕はほとんどなくなることがある。自分や家族といった近い関係の人たちのことで頭がいっぱいになってしまうのだ。だからこそ、何度でも『フィフティ・ピープル』を手に取りたい。きっとまた51人と心が通い、泣いたり笑ったりできるはずだ。

(篠原佳鈴)