【名作探訪】『死の棘』島尾敏雄~1981年 新潮文庫

 新年の幕開けだ。何かが新しく始まることは即ち、それまでの何かが終わることを意味する。英語のlastという語が、「終わり」を意味すると同時に「続く」という動詞の意味を持つように、「始まり」と「終わり」は断続するのではなく、連続している。それはまさしく私達の生の在り様と重なる。

 島尾敏雄『死の棘』。 ある夫婦が狂気に陥り混迷の深みへと嵌まりながらも、必死で家族の絆を紡いでいく物語だ。島尾自身の実体験を綴った私小説である。

 妻ミホの目を盗み、女との情事に耽溺していたトシオはある日ついに妻の復讐にあう。ただひたすら夫に尽くしてきたかに見えた妻であるが、実はトシオの醜い裏切りを全て知っていたのである。

 その審さばきの日を境に家庭の崩壊は始まる。耐え難い苦しみの果てに狂気へと至る妻。己の愚行を恥じ、妻の執拗な問責罵倒に憔悴しながらも、夫は家庭再建を試みるが心に病を患った妻の発作がそれを阻む。年端も行かぬ伸一とマヤの二人の子供は「カテイノジジョウ」に振り回され、幼心に傷つき荒む。

 妻は何故、夫から離れないのか。夫は何故、崩壊した家庭を築きなおそうと躍起になるのか。妻は何故、病的に過去に拘り自らを傷つけるのか。夫は何故、自尊心を悉く蹂躙する妻に優しさと美しさを垣間見るのか。

 家庭神話は終わってしまった。だがそれは新たに再生への物語を続けることだ。生きるとは、終わった過去を積み重ね、新たな未来へ臨んでいくことなのだろう。狂騒の中で縺れ合う夫婦の中には一本の絆が通じている。心の深奥で、か細く、ぎりぎりまで張り詰めながらも、しかし確実に。夫婦は絆の存在を肌で感じるために悶えているのかもしれない。

 新潮文庫の解説で山本健吉氏は言う。これは過去の鎮魂の物語であると。

 妻の郷里の奄美で、回癒した妻のためにも、島尾は『死の棘』を書かなければならなかったのだ。

 もう一つ、息子の伸三(作中では伸一)に注目してみるのもいい。壮絶な家庭の中で、幼い息子は何を見たのだろうか。彼自身、写真家として活躍し、父について綴ったものが世に出ている。島尾家の物語は、今もなお続いているのだ。

 さて、『第三の新人』作家を追ってきた名作探訪も今回が最後。『第三の新人』の用語を最初に使った山本健吉の解説に最終回で出会うとは不思議な縁もあるものだ。

(古谷孝徳)