【つれづれ評論】映画『告白』2010年 東宝

観終わった時、凄まじい何かを突きつけられているようで圧倒された。同時にどす黒い爽快感も感じていた。
 ざわつく教室の中、女教師森口悠子(松たか子)が語りだすところから物語は始まる。始業式後のHRで彼女が語りだしても生徒達はおしゃべりをやめることはない。だが、彼女のある告白が教室を一瞬止める。
 「私の娘はこの1年B組の生徒2人に殺されたのです」
数ヶ月前に校内のプールで溺死していた幼い愛娘が、実は自らの生徒に殺されたというのだ。そして彼女は淡々と語り続け、犯行の手口、班員について語りだす…
 本作は間違いなく傑作だ。人々の有機的な感情・行動の移り変わりは、誰かの行動によって誰かが動かされるという世界の流れを実感させられる。
 この作品で特徴的なのは人々の語り、つまり「告白」で物語が紡がれていく点だ。ただし「告白」というのは形式によって毛並みが異なる。生徒を前にする時、日記を綴る時、手紙を書く時―それぞれの告白は心情や真実を必ずしも吐露するものではない。その点をただ比べるだけでも十分楽しめる。
 監督は『嫌われ松子の一生』の中島哲也。雨の見せ方、カメラワーク、爆発など芸術的に物語を見せる。
 主演は松たか子。この映画での彼女は最高だった。なんともいいようのない虚脱感に包まれているかのような様相。とにかくブラックで不気味なのだ。教師森口が心の底では何を思っているのか、物語の上っ面だけを追っていては分からない。観ている者は深く考えて彼女を注視しなければならない。しかしそんな作業を自然とさせてしまうほどのパワーを松の演技は持っていた。
 BGMには、Radioheadや渋谷慶一郎などによる既出の音楽が多用されている。にもかかわらず作品との一体感は異常だ。これらの音楽が存在しなければ作品は陰鬱さを増して、観にくくなってしまうだろう。音楽が作品にポップさを与え、作品の深層的なサポートすらも実行している点は見事と言わざるを得ない。
 人間の自分勝手さ、都合の良い解釈、そして逃避。単純な善いことや綺麗ごとは否定される。いかに綺麗ごとが社会の安定を保っているのかも見透かされてしまう。その点からすれば本作はある意味ホラーだ。だからこそ原作から若干の追加をした結末にも納得がいく。  
 原作よりも先に観るべきだという作品はめったに生まれない。だが間違いなく本作はその評価に値する。
         (太田翔)