2008年最後の名作探訪は北杜夫の『どくとるマンボウ医局記』を紹介する。

 このエッセイは、北が慶應大学病院神経科で助手をしていた時代を振り返り書いたものだ。彼の自由奔放にしてブラックユーモアに富んだ文章が、50年前の慶應医局の様子を活写している。

 当時の医局に存在していた奇人変人の奇行や珍エピソード、診察した患者たちとの頓狂なやりとり。自身の不真面目な生活を半ば懐かしそうに、半ば呆れたように物語る。今となっては考えられないくらいに常軌を逸したドタバタ悲喜劇。その中でときおり、北の鋭い人間認識がちらりと垣間見える。

 例えば、山梨県立精神病院での話。幾人もの精神病患者に接するうち、北は彼らの中に人間存在の謎を見る。当時のメモ書きが挿入されているが、そこには医者としての苦悩と孤独、精神病患者への畏敬の念が滲み出ている。北の人間観は今現在になっても決して色褪せていない。

 「私はこの人たちのそばにいる資格がない。単に治療の意味からいえば、この役目は、私よりもっと温かい心か更に冷酷な心、もっと賢明な頭脳か更に白痴的な頭脳を必要とする。

 分裂病者たちは、重病の私という医者のまわりで、それぞれの世界を生きている。私はやはり余所者らしい。(中略)私のみ、自分の世界を持たぬ、アイマイな、下等の生き物のように思えてくる」

 昨今は精神分析ブームのようだ。かつてここまで〈心の闇〉が強調された時代があっただろうか。

凶悪犯罪や自爆テロ、多様化する自殺にいじめ、モラルハザード。マスコミはセンセーショナルにこれらを煽り、原因不明なものはとりあえず精神異常という形で結論付ける。世論もそれに迎合し徒に恐怖心を膨らませる。それでいて、差別や格差に敏感で、弱者に憐憫の涙を浮かべることは忘れない。北は言う。

 「いわゆる正常でない者に対する優越感だけはやめたほうがいい」

 正常と異常の境界など人為的かつ恣意的なものに過ぎない。そんな当たり前のことが当たり前ではなくなってきている。

 北の文章はかなりアクが強い。ほとんど差別表現と言われても仕方ない物言いもする。しかしそこには確かに優しさが溢れている。いわば泣き笑いである。笑い飛ばす一方で、しっかりと悲しみ苦しむことを引き受けているのだ。私はこれを、安易な言い方が許されるなら、真の優しさと呼びたい。

(古谷孝徳)