エセー〈1〉 大学に入った頃は、とかく背伸びがしたかった。難解なフランス現代思想関連の本を図書館からせっせと借りてきてはいたものの、実際にはよく理解できていなかった。それでも、古い時代のものよりも、現代の作品の方からより多くを学べるのではないかと思っていたのである。

そのような折、ふとしたことからモンテーニュの『エセー』(原二郎訳 岩波文庫)を手に取った。このフランス・ルネサンス文学の代表作は、ボルドーの富裕な家庭に生まれたモンテーニュが、宗教戦争の激化する乱世にあって、38歳で法曹界を退き、塔にこもって読書と思索の日々を過ごしながら書き上げた作品である。

モンテーニュは父親の教育方針によって、幼少の頃ラテン語で会話するように育てられたため、ラテン語に非常に堪能であった。そのため、作者の豊富な読書経験を反映した『エセー』は、ラテン文学、また当時少しずつ仏訳で紹介されていたギリシャ文学からの遺産を引き継ぎ、のちのフランス文学、思想の発展の礎を築いた、まさに異文化間の橋渡しのような役割を果たす作品と言える。デカルトの『方法叙説』冒頭の「良識は世界で最も公平に分け与えられているものである」という有名な一句の源泉は、モンテーニュにあるし、また、パスカルやルソーの作品からも、『エセー』を強く意識すると同時に、先達の思想から距離を置きつつ独自の人間論を展開しようと模索するさまが窺える。

このように思想家の名を連ねると、いかにも手強そうな相手に見えるが、思想史、文学史の観点からかくも重要な位置にある作家・思想家でありながら、モンテーニュは平易な言葉で友愛、教育、学問、恋愛など人間のさまざまな生の諸相について実に闊達に思索を展開しているのである。

ストア派の峻厳な人間論の影響を受けた初期エセー(第1巻)から、懐疑論をへて(第2巻)、よりおおらかな道徳論を説くプルタルコスの影響のもと、「人間は誰でも自分の中に人間の性状の完全な形を備えている」と高らかに主張し、ありのままの人間性を肯定する境地(第3巻)に至るまで、モンテーニュの意識の足跡をたどり終えたとき、私の心の中では「古いもの=読むに耐えない」という偏った考え方は消え、むしろ4世紀も前の作家の言葉がこれほどまでに力強く訴えかけることに驚きと感動を覚えた。モンテーニュとの出会いなくしては、アンシャン・レジーム期の思想、文学に興味を持つことも、またその結果として18世紀の思想と文学の研究を志すこともなかったと思う。

岩波文庫の6巻本は敷居が高いと感じられる人には、宮下志郎氏の『エセー抄』(みすず書房)をお勧めしたい。

(談)