サッカー元日本代表反町康治氏 あまのじゃくな生き方 あまのじゃくだから―自分のことをそう思っている。昔から色眼鏡で見られるのがいやだった。決められた型にはめられると、拒絶したくなる。サッカー推薦で入学した大学は、サッカーをやらされている感じがしてやめてしまった。慶応に入学するために、浪人することにした。
 
プロ選手に転向したのも同じ理由。空前のブームに沸きあがるJリーグで、数少ないアマチュア選手としてプレーしていた。しかし、そのことがマスコ ミの格好のネタになる。グラウンド外のことで取りざたされる毎日。自分を取り巻く環境にフットボーラーとして違和感を覚える。「あまのじゃく」の虫がうず く。選手として正当な評価を求めて、プロの世界に飛び込んでいった。 繰り返される唐突な行動。しかし、大胆さの裏には冷静な判断があった。義塾に入学するために浪人したのも「高校時代、サッカーは一つの頂点を極めた。一年 ぐらい勉強しても大丈夫という自信があった」からだ。プロになったのも「プレーしてみて、Jリーグで通用する」という確信を得たため。氏の背中を押してき た「あまのじゃく」の正体は冷静な判断に裏打ちされた自信だ。
 
現役を引退した現在は、コーチとしてサッカーに関わっている。平塚時代にはC級ライセンスを取得。現役中にコーチライセンスを取得したのは反町さんがはじめてだ。これも「セカンドキャリアとして自分を一番生かせるのはコーチ」との判断からだ。
 
スペインにも留学した。FCバルセロナを始めとする一流クラブでコーチについて学ぶ。サッカー強国での生活は「想像以上に冷静、理論的。サッカー の知識が深い」と刺激に満ち溢れたものだった。「コーチとしてのキャリアを始める前に、スペインに来たのは本当に勉強になった」と当時を振り返る。 大胆。冷静。自信家。そんなあいいれない言葉が不思議とぴったりくる。冷静であるからこそ、自信をもて、自信があるから大胆にもなれる。すばらしい好循 環。氏の輝かしい経歴の源がここにある。
 
いまでも三田のラーメン二郎を訪れる。大学時代を思い出すようだ。後輩となる塾生にアドバイスを求めると「失敗してもいいから、チャレンジすること。失敗しながら自分で切り開いていくことを学んで欲しい」。氏の生き様がその言葉の重みを増している。

(中村晋一良)

 

〈プロフィール〉
一九六四年生まれ。三十六歳。 清水東高校二年時に、全国高校サッカー選手権で準優勝を収める。一九八七年に法学部政治学科を卒業、全日空に入社する。Jリーグでは横浜フリューゲルス、 ベルマーレ平塚に所属、MF、FWとして活躍し通算九得点。九十、九一年には日本代表にも選ばれ、四試合に出場した。また、九四年にはフリューゲルスの天 皇杯優勝に貢献した。 現役引退後は指導者を目指し、スペインに留学。FCバルセロナ、アスレチック・ビルバオ、エスパニョールといった一流クラブでコーチの勉強を収める。帰国 後は解説者として活躍する一方、日本サッカー協会のナショナルコーチングスタッフを務めている。