今年9月、慶大の先端生命科学研究所(以下、先端生命研)は、株式会社資生堂(以下、資生堂)と「ビューティーイノベーションの創出及び人材育成に関する包括連携協定」を締結した。そこで今回は、その包括連携協定の立役者であり、先端生命研所長、環境情報学部教授を務める冨田教授に、協定を通して資生堂と先端生命研が思い描くイノベーションについて話を聞いた。

 

普通のことはしない、人と違うことをする

包括連携協定とは、民間企業が1人または2人の社員を先端生命研のある慶大の鶴岡キャンパスに数年間派遣し、既存の考え方に捉われずに自由に研究を行うことを取り決めた協定だという。冨田教授に先端生命研が企業と協定を結ぶことになった背景を尋ねると、そこには日本の大企業に特有の体質があると語った。

「日本の大企業にとって、前例がなく失敗といったリスクの生じることを実行するのは難しい。しかしながら、それではブレークスルーは出てこないし、20年後に今と同じやり方で利益を上げられる保証もないですよね。そこで、将来の幹部候補である若手の社員を先端生命研に送り込むことで、社内にイノベーティブな風をもたらしたいという企業の想いに賛同し、協定の締結に至りました。」

鶴岡キャンパスからは9つものベンチャー企業が生まれており、鶴岡市からの支援も手厚い。冨田教授は、「普通のことはしない、人と違うことをする」ということを鶴岡キャンパス設立以来の理念として掲げ、鶴岡にその風土を根付かせてきたと話す。失敗してもいいから前例のないことをやって、組織や社会を進歩させることが重要なのだという。また、この「人がやらないことに取り組んで社会の先導者となる」ことは、慶大の創立者である福沢諭吉の理念でもある。

 

冨田勝教授(=提供)

 

企業との協力

先端生命研は企業の人材育成を手助けしているが、逆に企業のノウハウが先端生命研の研究に生かされることもあるそうだ。例えば、健康科学研究のために血液サンプルを収集しようとすると、大学やベンチャー企業の力のみではせいぜい1万人分のサンプルしか得られない。しかし、大企業の広いネットワークを借りることで、より多くのサンプルを得ることが可能になるのだ。冨田教授は、「僕らにできないことが、彼らと組めばできるということはたくさんあるなと思っています」とにこやかに語る。

 

資生堂社員と行う研究

先端生命研は過去にも損保ジャパンや三井住友信託銀行などといった日本の大企業と包括連携協定を結んできた。民間企業との協定は今回で7社目となるが、メーカーと協定を結ぶのは資生堂が初である。資生堂は鶴岡キャンパスに2人、みなとみらいの「GICトミーファーム」に4人の社員を派遣している。社員たちは「ビューティー」をキーワードにそれぞれ自由に研究活動を行い、冨田教授は研究に勤しむ彼らにアドバイスを与えている。彼らは単に化粧品開発に関わる研究をするのではなく、「美とは何か」といった哲学的なテーマに対して仮説を立てたり、美と生物学を結びつけて「美生物学」と呼び、「何をなぜ美しいと感じるのか」について考察を行ったりしているそうだ。

 

社会をリードする人材とは

今回の連携協定で先端生命研と資生堂が目標として掲げている、「未来型のイノベーションをリードする人材の育成」について尋ねると、冨田教授は「批判にも耐えうるマインド」と「強い使命感」という2つの言葉を強調した。新しいことをやることに対して抵抗をする人は必ずいるし、失敗すると「ほらみたことか」と批判される。だから、新しいことにチャレンジする人は少ない。冨田教授は「イノベーションにおいて、斬新なアイデアを思いつくことが重要なのは大前提として、それよりもむしろそのアイデアを本当に実行してやり遂げるパワーがあるかどうか、が何倍も大事だと僕は思います」と話し、失敗した時にも批判に耐えられるマインドを持ち、自分の取り組むことが社会にとって有益だと信じて尽力し続けることが重要だと続けた。また、冨田教授は、売上げや利益といった「数字」を伸ばすことを目的としている人ではなく、「社会課題を解決するためにこれを自分たちがやらなくてはならない」という使命感を持つ人が社会をリードしていく人材なのだと語った。これからも先端生命研が民間企業と包括連携協定を結ぶ可能性があるのかを尋ねると、冨田教授は、可能性はあると答え今後もイノベーションを起こしたいと考える企業と積極的に連携していく姿勢を示した。

 

好きなことで社会に貢献する

最後に、冨田教授から、各分野で活動に励む塾生へエールをもらった。冨田教授は、「研究に限らず、教育や仕事においても、一番重要なものは『感動』『エキサイトメント』だと思います」と話し、「面白い」と思った自分の素直な気持ちをうまく利用して、好きなことで社会に貢献して価値を残す、という理想を持ち続けることが大切だと語る。そして「広く人間社会を眺めれば、日本に生まれ育って慶大生として活動できることは、とても幸運なことです。たまたま運がよかった人は、運が悪かった人の分も世の中に貢献する使命がある」とし、一度しかない自分の人生をどうしたいのか、「答えがなかなか見つからないとしても、まずはじっくり考えてみることが重要だと思います」と締めくくった。

 

(鈴木倫子)