毎年10月、日吉キャンパスが多くのテントで埋め尽くされ、さまざまな卒業年度の塾生が会する。「連合三田会」と呼ばれるこのイベントには毎年およそ2万人が集まり、大同窓会の様相を呈する。しかしコロナ禍で昨年度の連合三田会は中止となり、今年度はオンラインでの実施が決まった。そもそも三田会とはどのような組織なのか、そして例年とは異なる年度三田会の運営にどう立ち向かっているのか、1997年三田会代表の河合史貴さんに話を聞いた。

取材に応える河合史貴さん

 

そもそも三田会とは?

塾生は卒業と同時に自動的に卒業年度の三田会に登録されるが、この事実を知らない塾生・塾員が多いと河合さんは語る。
「卒業したら年度三田会に自動的に入っているという意識がなかなか塾生・塾員にないのが現状。三田会に入っていることに気が付いていない人たちに、気が付いてもらうというのも僕たちの仕事かなと思います」

卒業年度に加え、所属した部活やサークル、ゼミ、さらには勤務先や地域別の三田会が存在する。公認の三田会でさえその数は870を超える。それぞれ帰属意識があれば、会費無料で誰でも参加が可能だ。
「塾員が縦に横に斜めに、国内のみならず海外にまでも、いろいろな三田会を形成しています(笑)。この仕組みは他大学では見られないもので、本当に凄いことだと感じます」と河合さんは話す。

毎年開かれる連合三田会では、卒業40年、30年、20年、10年にあたる年度三田会が「当番」として協力して実行委員会を作り、大会の運営にあたる。年度を超えたつながりも三田会の大きな魅力だ。

 

卒業後に集まる意義

河合さんら1997年三田会は今、卒業25周年記念行事を進めている。その大きな目標は、2000人規模の大きな同窓会を開くことだ。「同期は約7000人いますが、卒業した時点では残念ながらつながりを持っている人はせいぜい200人程度」と河合さん。それだけに25周年という節目で集まる意義は大きい。

「僕が卒業10年目とか20年目の同窓会を振り返って良かったと思うのは、さまざまな人が多くの友達を誘ってくるので、そのタイミングで初めて知り合う同期がたくさんいたこと。同窓会で仕事や趣味でのつながりができたりして、本当に慶應ならではの機会だと感じます」

例年は大広間に大勢の同期が集まる形で同窓会が実施される。コロナ禍で制約が課されることは必須だが、「いつか同期7000人で、それも対面で再び集まるのが夢」と河合さんは話す。

 

名簿作成に立ちはだかる壁

卒業25周年記念事業のゴールである大同窓会。強固な同期ネットワークを再構築するためには97年卒の塾生の連絡先を集め、名簿を作成する必要がある。だが、この作業が一筋縄ではいかない。

「大変なのが、どこに誰がいるのか把握すること。転職や結婚を機に、海外や地方に引っ越す塾員が多く、知人のつてなどを生かして彼らの居場所をつかむことがまず必要になります」

本来なら地方で開催される小さな同窓会などを通じて、名簿作成に必要な個人情報(氏名やメールアドレスなど)を記入してもらうことで連絡先を集めていた。しかし、コロナ禍の今、このやり方は暗礁に乗り上げた。

「対面での声掛けができない中、フェイスブックなどで名前を検索してつながりを見つけ、名簿に登録がなければ、メールを打ったり、フェイスブックでDMしたりの繰り返しです。最初は怪しまれたりしましたね(笑)」

97年卒それぞれが知人に声を掛けて、声を掛けられた人が新しい人に声を掛ける。地道なサイクルではあるが、大同窓会の実現に向け名簿作成は欠かせないプロセスだ。

 

1997年三田会の詳細、および名簿登録はこちらから

 

(次ページ:長きにわたり受け継がれる伝統、「寄付金集め」の舞台裏とは)