【つれづれ評論】『華麗なる大円舞曲』 1833年フレデリック・ショパン

フレデリック・ショパン─クラシック音楽に全く関心のない人でも、この名を一度は耳にしたことがあるだろう。今年生誕200年を迎える彼は、「ピアノの詩人」と呼ばれたように、数多くのピアノ曲を遺している。現在ではピアノの演奏会だけでなく、浅田真央選手をはじめ、フィギュアスケートの演目にも積極的に使用されている。

 その中でもとりわけ有名な楽曲が、『華麗なる大円舞曲』。ピアノを習っていた経験を持つ者の多くが、いつか演奏したいと(その夢が実現したか否かにかかわらず)憧れたことがあるのではないだろうか。

 1810年にポーランドに生まれた彼は、1830年に愛する故郷を去りウィーンへ、翌年にはパリへ向かう。ショパンにとって初めて出版されたワルツとなった本作は、短い期間ではあるが滞在したウィーンで聴いたウィンナー・ワルツ(19世紀のウィーンで流行し、ヨーロッパ中に広まっていったとされるワルツ)の影響を受けている。

 まず何といっても印象的なのは、冒頭4小節のファンファーレである。変ロ音の反復によって、華やかさを演出している。その後、変ホ長調の主題が現れ、第2、第3、第4主題へと連鎖。第5部となる変ホ長調の主題の再現後には、突然の休符をおいて、これもまた華やかなフィナーレへと続く。

華麗な変ホ長調の主題に挟まれた中間部は、華やかさを含みつつも、ショパン自身のもつ繊細なイメージも感じさせる。「ピアノの詩人」と称されたことになぞらえると、中間部は彼の「叙情詩」といえるのかもしれない。

 小難しい話はここまでとしよう。

 ショパンは、恋多き音楽家としても知られている。

 この『華麗なる大円舞曲』も、1833年には、将軍の娘で、ピアノの弟子でもあったローラ・ホルスフォードという女性に(しかし、最終稿とは大きく異なる内容となっている)、翌年にはマリア・ヴォドジンスカという女性に贈られている。

 殊にマリアは、数多くの女性と浮名を流したショパンにとって、たった一人結婚を約束した女性。元来からの彼の病弱さが原因となって縁談は破棄されてしまったのだが、生涯に渡って理想の女性像として心に残っていたといわれている。

 ちなみに、マリアに最後に演奏した曲が『別れの曲』として知られている。

 生誕200年。今年の「芸術の秋」に、ショパンの「詩」を味わってみてはどうだろうか。
 (入澤綾子)