読者の皆様は「健康」という言葉の由来についてご存知だろうか?健康の言葉が広く使われ出したのは明治時代に入ってからであり、福諭吉が『学問のすすめ』などの著作で使用し一般的な単語として広まるきっかけのひとつとなった。厚生労働省発表より2019年の我が国の平均寿命が1960年台より15年近く伸び、女性87.45歳、男性が81.41歳に達する統計データが発表されたことは記憶に新しい。[※1] 諭吉はかつて健康の一つの概念として加齢による身体機能の衰えや病気を抱えた状態であっても生活に支障のない「帯患健康」という概念に触れた事があるが、今日の高齢化社会においてはまさにこの「帯患健康」の状態をいかにして把握・維持してゆくかという点もより重要な課題となってきているといえよう。

この様な世相の中、2023年11月に麻布台ヒルズへと移転した慶應義塾大学予防医療センター(以下、予防医療センター)は今日の医療課題に対し最前線での取り組みを続けている。今回は医学部・看護学部・薬学部をはじめとする医療系学部で学ぶ塾生に向けて、予防医療センター長の高石官均教授と事務長代理である澤藤正哉様より予防医療センターと予防医療への想いについてお話を伺うことが出来た。

 

慶應義塾大学病院 予防医療センターの歴史について教えてください

高石:慶應義塾大学医学部は北里柴三郎先生が初代の医学部長であり、また初代の病院長でもありました。北里先生は元々「病気を治療するよりも、まず病気にならないようにすべきだ」という考えから予防医学を重視しており、慶大医学部に予防医学教室を設立したという経緯があります。この様な歴史的な背景がある中で、慶應義塾大学病院では信濃町にて人間ドックを始めたのが予防医療センターの始まりとなり、その理念は今へと受け継がれています。

 

予防医療センターの利用者人数の状況について教えてください

澤藤: 2022年度は 6,000人を超える受診者の方にご来訪いただいており、麻布台へと移転した現在も約4ヶ月、検査によっては半年待ちという状態となっています。

 

予防医療とは何か?なぜ今、必要なのでしょうか?

高石:予防医療の重要性は病気になる前に疾病リスクを発見することで受診者にとってのリスクを未然に回避するという点があります。ただし予防医療では単純に人間ドックで検査を受ければ良いというものではなく、受診者個々の生活といった背景や検査に加えて、家族歴[※2]に基づく適正な疾病リスクの絞り込みも大切になってきます。更に、受診者との間でしっかりと話し合いを行うことで患者の状態を理解する事も必要です。この様に予防医療においても個別化を進めることで疾病リスクの推定をしやすくなることから、その進め方などについてモデル構築してゆく必要があると考えています。またこの予防医療センターは大学が運営する機関でもあるため、研究やオープンイノベーション拠点として研究講座を展開し予防医療の発展と普及も目指しています。

澤藤:今回の麻布台ヒルズへの病院移転には、病院の外に出て社会の日常の中で予防医療を行うという目的の他に、病気になったら病院へ行くと言う「医療」モデルを変更させていく意味合いもあると思います。超高齢化社会に伴い病気になる人が増加する一方で、労働者人口が減少することで相対的に医療従事者が割合も減る事態が予想されます。医療費だけでなく医療を支える人的な部分でも崩壊する恐れがあると考えられるわけです。そこで、我々は予防医療を中心とした新たな医療モデルを提唱・確立することで受診者を病気にさせないというところへ力を入れてゆく必要があるのではないかと考えています。

 

予防医療センターが推進する 「個別化医療」 への想いを教えてください

高石:私達が目指す予防医療とは、「病気を早期に発見して“防ぐ”」という守りだけではなく、「健康な状態で長生きできるように、総合的な健康増進を行う」という、もっと積極的な医療です。健康増進のためには、医師や看護師などの医療スタッフと十分に対話し、しっかりとその人に合った適切な検査を受けて頂くことにより、自分自身を知って頂くことから始まります。将来その人に起こりやすい病気を、発症前の未病の状態で診断・予測し、予見的な介入を行う医療は「先制医療」と呼ばれており、「先制医療」による積極的な攻めの医療へのシフトを図っていきたいと思います。私達の予防医療センターは、「一人ひとりの人生と共に歩む医療を」をコンセプトとして、受診者それぞれに個別化した予防医療プログラムを行い、健康寿命の延伸を目指しています。

澤藤:予防医療センターでは人間ドックとは呼ばずに「パーソナライズドドック」と呼称しています。文字通り「個別化」を強調しているのですが、その理由は、予防医療では患者さんの病気に焦点をあてて治療を進める従来の医療とは異なり、利用者1人1人の背景や個別の事情、健康観などに着目してその方の不安に寄り添う必要があると考えているからです。具体的には、受診者の多くが希望するであろう検査項目をパッケージ化して提供するのではなく、受診者が検査項目を自由にカスタマイズできる仕組みを導入しています。1人1人の検査項目異なると、1人1人の検査順番も異なるため、受診者の誘導が複雑になります。そのため、デスクと呼ばれる担当者を置いて、エスコートシステムという各利用者が円滑な検査を受ける事ができるよう誘導サポートを行う仕組みを取り入れることで個別化医療を実施しやすい体制を整えています。

 

予防医療センターが持つ使命と目指す未来について教えてください

澤藤:予防医療センターが目指す大きな使命としては、まだメジャーではない予防医療というものについて持続可能な個別医療のコンセプトやモデルを作り、世の中に広く普及するきっかけを作りたいと考えています。そのため、既存の医療からのモデルチェンジを目指す未来型予防医療への挑戦という意識から信濃町から麻布台ヒルズという街中へと移転したという経緯もあります。また、これと同時に新しい予防医療のモデルを普及してゆく一環としてセミナー等の形で予防医療に対する考え方の発信にも力を入れ始めています。

 

個別型予防医療に向けた新たな取り組み 「メンバーシップ制度」 について教えてください

高石:従来の人間ドックでは年に1回検査を受けて、検査結果を見て必要があればかかりつけの病院に行ってもらう二次予防[※3]が中心でした。メンバーシップ制度はここから一歩進んで受診者が希望する検査を個別に組み、検査や継続的なサポートを実施してゆくという特徴があります。寿命を伸ばすことも確かに大切ではありますが、同時に1人1人の健康寿命[※4]を伸ばすことでより豊かな人生を送っていただきたいと考えています。

澤藤:予防医療センターが麻布台へと移転して始めた新たな取り組みとしてメンバーシップ制度というものがあります。この制度は個別化医療の理想を追求する一つの形でして、プライマリードクターという主治医を中心としたサポートチームが受診者1人1人の健康を守るためのサポートをしていくというものです。病気などが見つかった時には慶應義塾大学病院への橋渡しを行うのはもちろんのこと、受診者個人に合わせた検査をはじめ、日々の日常に向けた細やかなフォローを実施してゆく事で受診者の健やかな人生をサポート出来るよう体制を整えています。

 

最後に、慶大で医療を学ぶ全ての学部の皆様へメッセージをお願いします

高石:予防医療センターでは、患者さんの気持ちに寄り添うことができる医療従事者を育成しています。患者さんのそばに行き目線を合わせて、不安や悩みに共感を示すことが、どれだけ患者さんの救いとなることでしょうか。そして、患者さんだけではなく、後ろにいる家族にも目を向けて下さい。医師、看護師や薬剤師に限らず、その場で働いているスタッフ皆が、患者さんや家族の気持ちを理解できるよう努め、心から優しく接して欲しいと思います。医療を学ばれている塾生の皆様や、医療以外の勉強や仕事をなさっている皆様の、家庭、学校、会社においても、優しく機微に触れるコミュニケーション力や、繊細な共感の気持ちを磨いて下さい。

 

今回の取材では慶應義塾大学予防医療センターが麻布台ヒルズへの移転を通じて今後の予防医療のあり方を模索し、医療全体をよりよくする取り組みについて触れることが出来た。この人々の健康を未然に守る予防医療領域については法学・経済学領域においても国民皆保険[※5]をはじめとする公的医療保険制度をいかに維持し、国民の生命を守ってゆくかという観点からも注目されている分野のひとつである。医療の将来を開拓する慶大の取り組みにこれからも目が離せない。

 

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[※1]参考:厚生労働省「令和2年版 厚生労働白書 -令和時代の社会保障と働き方を考える-, 平均寿命の推移」

[※2]家族歴:本人の家族など近親者に関する健康の記録のこと。どのような疾患がその人にとって起こりやすいのかを探る上での参考指標の一つとされる

[※3]二次予防:自覚症状はないものの既に健康異常の兆候が現れている段階において、早期発見により出来るだけ早く治療を行うことにより重症化を予防する取り組みのこと

[※4]健康寿命:健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間のこと

[※5]国民皆保険(制度):全ての人が加入し、保険料を支払うことで互いの負担を軽減する公的保険制度のこと

小関雄介