2020年、ミス&ミスター慶應SFCコンテストは、募集要項から「男」「女」という性別を削除した。

同年、自身を男性だとは強く自認していない「女性として生まれた」ミスターSFCファイナリストが誕生した。篠原かをりさん(当時修士2年、現在SFC研究所上席所員)だ。

「結局この姿で生きていく」という思いが参加を後押し

コンテストへの参加を決めたのは、「図太くなった」ことがきっかけだった。容姿にコンプレックスを抱える中で、「結局この姿で生きていくのだから」と開き直ったという。学部と院で合計7年慶大に通い、自分と無関係だと思っていた、華やかな場所にあると考えていたコンテストに参加するほどの図太さを手に入れた。
ミスターを選んだのは、性別の区別を撤廃するという魅力的な取り組みに自分も関与したいと思ったからだ。用意された選択肢はすべて使おう、という単純な好奇心と図太さの結晶だった。

篠原さんは、自分は女性である、男性であると強く意識して生きたことがないのだという。女性として生まれると、何か行動を起こさない限りは、女性として見られ続けることになる。ミスターに出場することが、性別を明確に示さない自分にしっくりきたのだと振り返った。
自身を男性とも女性とも振り分けないということを表現するのは難しい。ミスターSFCでの経験を通じて、そうした自分の立場を表に出すことに抵抗感がなくなったという篠原さん。2年経ってもなお、「楽しくて、いい経験だった」と思いを馳せた。

ミスターSFCコンテスト2020に参加した篠原さん(当時)

人生の最後に残る「何か」をかっこよく

「背は小さくても、渋い人は憧れ」。篠原さんが目指したかっこよさだ。高身長、筋骨隆々といういわゆる”男性らしさ”を持っているわけではない。容姿へのコンプレックスや数学が苦手、という欠点に見られる部分も未だにある。ただ、得意の分野を突き抜けることで、「得体の知れないかっこよさ」につながると確信しているのだという。
インドの映画俳優、アーミル・カーンさんが好きだという。170センチメートルに満たないといわれる小柄な体型から放たれる存在感。彼のように、目に見える姿を上回るような存在感を持つことが、篠原さんの目標だ。
人生の最後に残る「何か」をできるだけかっこよくするために日々努力を続けているし、生まれついた容姿や性別によるイメージは生き方で乗り越えられると信じている。そうした思いでミスターSFCに出場したという側面もあった。

多様な人々を包含したコンテストのあり方を

連載第2回で、ミス・ミスターの区別を残すコンテストの評価は、画一的な男女の美の基準に左右されやすいとの高橋幸さんの話をとりあげた。
あるべきミス・ミスターコンの開催形式について、篠原さんは「完全な正解はない」と答える。今、ミス・ミスターコンは過渡期にある。手探りに変化する過程で、開催方法は様々あってよいだろう。ミス・ミスターの区分けを撤廃することが唯一の正解ではないとも考える。
最終的にどのような開催形態になるとしても、自分自身の性別を強く意識しない自分自身を含めた多様な人々を包含できるようなコンストのあり方を考えたことはいい経験だった、と篠原さんは振り返った。

「ミスターコンによってオープンになれた」

「思った以上に特別視されなかった」。篠原さんは、周囲の反応についてこう思い返す。”女性として生まれた”ことが良くも悪くも注目されるという予想に反し、1人のミスターSFCファイナリストとして人間性や個性を評価してもらえた。自身の性別が話題になるだろう、という固定観念が自分にあるということに気付いた。世界に心を閉ざして決め付けがちだったが、「ミスターコンによってオープンになれた」と、自身の成長を語った。

(山下和奏)