R.M.リルケの『マルテの手記』(望月市恵訳 岩波文庫)は、大学1年生の時に初めて読んだ散文作品だが、冒頭のパリの路地裏や病院の描写には、視覚ばかりでなく嗅覚や聴覚をも刺激するような描写が続いて、私にはいつ読んでも魅力ある作品である。

 リルケは20世紀を代表するドイツ語圏の詩人のひとり。生涯、家をもたずにヨーロッパ各地を彷徨したコスモポリタンでもある。本書を書く直前までドイツのブレーメン近郊の小さな村で生活していた詩人は、彫刻家ロダンの伝記を書く依頼を受けて1902年に初めてパリに出てきたが、この大都市の喧噪と騒音に度肝を抜かれたようだ。ベル・エポック(良き時代)と言われた時代のパリ。「華の都パリ」のきらびやかな世界とは裏腹に場末の汚い路地裏や、そこで遭遇する生の敗残者と思える人々ばかりを克明に描写している。不安と孤独でいっぱいの主人公が、都市の闇の世界へと引き寄せられていく描写には、作品の語り手の巧みな意図が読み取れる。いわばマルテが、この現実において生は可能かという課題を作者から託されて、パリの現実へ投げ込まれたようなものだ。作品の中の街はパリのほんの一部の光景かもしれない。しかしマルテのパリは、彼自身の都市のイメージであり、個人を通して捉えられた都市の光景には、こまごまとした街の注釈を読むよりもかえってリアリズムの凄みすら感じてしまうことがある。

 ところでこの作品はパリ体験だけでなく、マルテの幼年時代の回想場面、歴史上の人物などを扱った3つの層から成り立っている。人間の存在への問い、生と死、愛の時間のテーマが71篇のエピソードのなかに散りばめられている。作品を最初から順序立てて読むだけではなく、それぞれテーマに沿ってエピソードを読んでみるのも面白いと思う。

 『マルテ』のこうしたエピソードに見られる悲惨な現実について、リルケはそれを凹型に例えている。鋳型から彫刻作品を創るように、その中からポジティブな像(たとえば青銅の像)を鋳造できれば、ネガから明るいポジの世界が広がるように、言葉の描写の背後から「幸福」や世界を肯定する兆しを感受できるかもしれない、と。

 書物を「流れに逆らうように読む」というリルケの言葉があるが、これは、「読書」を考える上でも示唆に富んだ名言といえよう。

(談)