「僕はずっと持ってると言われて続けてきましたが、その何かが今日わかりました。それは仲間です」

この言葉は早大野球部時代、斎藤佑樹投手がインタビューで残した言葉である。この言葉が感動を与えたのは、過剰に「仲間」「友達」というフレーズに反応し、仲間といることが素晴らしい、至上であるといった考えが近年、若者の意識を支配しているからではないだろうか。

「ひとりぼっちでいることが、マイナスの価値観とされ、若者は『友達がいない』と他者からレッテルを貼られることを恐れている。そのために他者と関わるよう駆り立てられる。関係を持つことを煽られている」と、若者のコミュニケーションに関する著作の多い筑波大学教授の土井隆義氏は話す。

ではなぜ、このように若者の考え方が変わったのか。かつては現在のように価値観も多様ではなく制度的に縛られていたため、個人の社交性よりもクラス、地縁といったものに友人の数が依っていた。しかし、インターネットの発達などが進み人間関係が流動的なものになった。「友達の多寡は個人の資質、コミュニケーション能力により左右されるようになり、そのことで、友達の数が人間の価値を測るひとつの指標として使われるようになったのではないか」。

若者の「友達がいない、と思われたくない」という意識は彼らの生活を制約、支配している現状にある。

土井教授は「『いつメン(いつものメンツ)』と呼ばれる、いつも一緒にいる存在、を作ることには若者にとっての保険のような意味がある」と分析する。また、近年、若者のネット依存問題が社会的に取りざたされているが「ネット依存と言われる若者は、インターネット上でも現実世界で仲良くしている人と繋がっていようとする。多くは決してリアルに居場所を失ってしまったことによるものではなく、自分の評価や連帯感を常に確認していないと不安になる近頃の若者の心境からくるものである」という。

こういった現状がある一方で、他者への配慮を必要としない「一人焼肉」、「一人カラオケ」も流行している。これは若者が常に繋がっていることを良しとする人間関係に疲れているということを表す現象の可能性がある。

土井教授は「多様化する価値観の中で、若者たちは自分と違う価値観を持つ他者を排除し固まってしまう傾向にある。自分と同じ価値観の人とだけ付き合っていると、今後自分の知らない自分と出会うことが難しくなってしまう」と警鐘を鳴らす。

4年間しかない大学生活、安定した居場所を獲得するだけでなく様々な価値観を持つ他者との環境に身を置いてみよう。新たな自分を見つける機会になるはずだ。
(香西朋貴)

【連載】学生文化研究所