昨年7月、第169回直木三十五賞の受賞作が発表された。選ばれたのは、慶大文学部を2000年に卒業した、永井紗耶子さんの『木挽町のあだ討ち』だ。今回は、永井さんに学生時代の思い出や、作家として大切にしていることを聞いた。

 

視野を広げてくれた慶應

高校を卒業後、慶大の文学部に進んだ。専攻は、人間科学専攻(以下、人科)を選んだ。将来は小説、特に時代物を書きたいという思いがあったが、日本史学だけを学ぶと視野が狭くなってしまう。そこで、将来の仕事の選択肢を広げることに繋がり、小説の中で「人間のことを書く」助けになると考えたのが理由だった。所属した小林ポオルゼミでは、メディアや消費活動が社会に与える影響について研究した。

また、メディアについて広く学ぶことができる、メディアコミュニケーション研究所(以下、メディアコム)にも入所した。大石裕ゼミに所属し、事件や政治問題に関する新聞記事の比較検討などを行った。文筆活動と切り離して行った、人科やメディアコムでの学びによって、永井さんは「ジャーナリスティックな目線を得た」と語る。

「作家って単体のメディアなんですよね。私の名前で本を出すことは私が何を伝えるかっていう問題でもあると思うので、 そういう時に今の社会がどうなっているかを一回見るという点で、メディアコム、人科で学んだことはすごく活きていると思います」

サークルは、国際交流支援団体であるI.I.Rに所属した。夏休みの度に、来日する交換留学生たちのアテンドで観光ツアーを組み、さまざまな国籍の学生と出会ったことは永井さんの視野を大きく広げたという。

また、香港が中国に返還された97年、香港の大学に2週間留学した。北京ダック屋さんの看板がある日、鄧小平(中国共産党の指導者)の写真に変わったのを見たのが印象に残っているという。当時知り合った香港の学生たちとFacebookで繋がっており、今も香港の状況を気にかけている。

 

記者とライターを経て作家へ

在学中、書いた小説を何度か賞に応募したが、目指していた歴史小説の新人賞が大学3年生の時になくなってしまった。大学卒業後の進路に迷った時に参考にしたのは、司馬遼太郎や永井路子ら好きな作家たちの仕事だった。彼らの多くが新聞社や出版社に勤めていたことが、マスコミ企業を志す決め手となった。

当時は就職氷河期であり、周りの学生達と同様苦戦したが、唯一最終選考まで進んだのが産経新聞だった。

「新聞社は体力大事だよって言われていたけど体力あんまりなくて。ここしか進んできてないから、最終面接で『体力自信ありますか』って聞かれて、ありますって言うのは嘘だから、『頑張ります!』と答えたら採用が決まってしまいました」

新卒1年目で、大阪の阪神支局配属になる。事件・事故を追って一日中走り回る毎日を過ごしたが、無理がたたって倒れてしまった。休職も考えたが、中途半端に籍を置くのもよくないと思い、産経新聞を退職した。

次の仕事に迷った時に、永井さんは雑誌社に勤めていたメディアコムの先輩に勧められて、雑誌のフリーライターを始めた。合間で書いていた作品、『絡繰り心中』が永井さんのデビュー作となった。その後、幾つもの作品を発表していく間に、ライターから作家へと完全に軸を移した。

 

直木賞受賞

2020年は、デビュー10年目の節目の年だった。何か足跡になる作品を発表したいと思い、19年ごろからストイックに執筆活動に打ち込み、『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎』を書き上げた。

新型コロナウイルスの影響で、在宅で仕事に集中することにした。そんな中で『商う狼 江戸商人 杉本茂十郎』と並行して書いていたのが、直木賞受賞作である『木挽町のあだ討ち』だ。

直木賞を受賞して、永井さんは「ちょっと声が大きくなったんだなっていう感じがする」と話す。

「一作家という立場に変わりはないけれど、直木賞作家という肩書によって、発言に重さが加わってしまうことがあると感じています。軽率なことは言えないと思うけれど、同時に自分が発信したいと思うことをきちんと発信できるようにしないといけないなあ…と。色々なことを丁寧に考え、観察することも必要だと思っています」

 

ペンは剣より強い

永井さんが作家として大切にしていることは、「ペンは剣より強いということを自覚すること」だ。

「作家として、このペンで人を傷つけるかもしれないという意識は持っていなくてはいけないと思います。エンタテイメント作品である以上、時には人が死ぬこともある。その時に、自分の中に悪意や差別などが巣食っていないか、自覚的に気をつけないといけない。むやみやたらに誰かの尊厳を傷つけることがないようにしたいと考えています」

 

今、ここ、私

最後に、慶大生へのメッセージをもらった。大学生活において、「今、ここ、私ということを大事にして、楽しんで、それを積み重ねてほしい」と話し、こう続けた。

「教室でもサークルでもバイトでも、一つの場所でへこんだり、自己嫌悪に陥った時は、一度そこから離れてみてもいい。新しい友達の輪を見つけてもいい。学生時代は自由に様々なところに出入りできる貴重な機会ですから。何よりも自分を好きでいられる場所を見つけていけば、楽しいことも増えて世界も広がると思います」

 

鈴木倫子

 

【プロフィール】

永井紗耶子(ながい・さやこ)

小説家。慶應義塾大学文学部卒。

新聞記者を経てライターとなり、2010年に「絡繰り心中」でデビュー。昨年7月、『木挽町のあだ討ち』で第169回直木三十五賞を受賞した。

 

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