穏やかな表情の僧侶・松野宗純さん(80)が、かつてエッソ石油の副社長まで勤めた猛烈ビジネスマンだったとは誰が想像できよう。

 「その頃は仕事のことしか頭になかった」と、松野さん。52歳のとき第二次石油ショックを経験した直後、「石油業界は自由化される」とにらんでいた彼は、会社の大胆な構造改革を提案し、プロジェクトの責任者となった。

 しかし、実際に撤退が始まると「やはり外資系の会社は冷たい」「なぜ業績が良いのに、我が社だけがやるのか」など、予期せぬ不満、そしてトラブルが続出。会社の同僚たちとぶつかった。リストラの対象になる人たちやその関係者、家族のことを考えて一人の人間として悩んだ。「もう逃げ出したい気持ちだった」と振り返る。

そんな時、エッソ石油代理店の経営者で、金沢のお寺で檀家総代も務めていた文化人に坐禅を勧められる。投げられたロープに飛びつくように、10日間ほど参禅した。

 「不思議と心が静まって、周りが見えてきたんですよね」

 構造改革が思うように進まない第一の原因は部下にあると考えていたそれまでとは違って、心が晴れ、部下の意見にも素直に耳を傾けられるようになった。おかげで他社に10年先駆けて、構造改革は成功。ビジネス上の達成感で、心は高揚した。

 気づけば「生きがい」となっていた仕事が終わる日が近づき、寂しさを感じる中で、追い打ちをかけるような〝事件〟が起きた。アメリカから帰国した社長から今まで彼が成し遂げてきた構造改革を全て否定されたのだ。そのために恒例となっていた役員としての退職式も開かれなかった。

 「今まで何のためにやってきたかと思うと、空しかった」

 相田みつをの「にんげんだもの」を読んで思いついたのは、参禅してから興味を抱いていた禅の世界へすすむことだった。60歳にしてあえて「修行僧」となった。猛烈ビジネスマンの決断は、穏やかに下された。

 こうして一念発起、修行に身を投じた松野さんだが、そこはもちろん過去の輝かしい実績や学歴、年齢などは全く通用しない世界。「年寄りだからといって甘えるな」とでも言いたげな冷たい視線の中での毎日が続いた。

 「我を捨てて裸でぶつかって、やっと受け入れてくれた時は、涙がこぼれそうでした」

 長年の修行の末に北陸の寺の住職にまでなった松野さんだが、その間、挫折しそうになったことも、辞めたいと思ったことも無いという。
 現在は、「地蔵院」というその寺の住職を辞し、毎日のように説教や講演をこなす傍ら、カンボジアに毎年1校ずつ学校を建てる基金の顧問も務めている。

 海岸沿いのレストランで取材をしたが、窓からは数多くの船が行き交うのが見えた。

 「あの船は浮いているように見えるけれども、実は浮かされている。人も同じで、生きているのではなく、生かされているのだよ」と遠くを見つめながら松野さんは言った。

 大きな決断を下した人にしか達しえない境地に松野さんはいた。

(宮島昇平)

松野宗純
昭和3年生まれ。慶應義塾大学工学部卒。米国レンセラー工科大学に留学、工学博士。マサチューセッツ工科大学(MIT)経営学部に学ぶ。元エッソ石油株式会社代表取締役副社長。藍綬褒章受章。昭和61年4月、前曹洞宗管長、板橋興宗禅師のもとで得度、嗣法。シャンティ国際ボランティア会顧問。著書には、『人生は雨の日の托鉢』(PHP文庫)、『人生の素晴らしい店じまい』(アートデイズ)など。