今年度、3月31日で定年退職を迎える経済学部の倉沢愛子教授にインタビューを行った。倉沢教授の専門はインドネシアを中心とした東南アジア研究で、慶大ではアジア社会史、社会問題等の授業と、研究会を担当。
ご自身の研究会ではゼミ生にインドネシアのジャカルタとバリ島での現地調査を体験する機会を与え、通常の授業でもそうした成果の報告を行うなど、「実際の体験」を重視した指導を行ってきた。
1997年から14年半に渡る慶大での教授生活や、ご自身の研究について語っていただいた。

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――今のお気持ちは。
はっきり言ってすごく寂しいですね。14年半はあっという間でした。来年からも非常勤で授業を持つので、少しずつ(慶大から)去っていく、という感じです。
一番力を入れてきたのはゼミ生を中心にインドネシアに「研修旅行」として連れて行き、庶民の生活を体験させるという実証的研究です。それがだんだんと住民の方の理解を得るなど形が整い、ノウハウが身についてきてようやくこれから、というときに定年を迎えたのはとても残念。今後も授業を通じそうした活動は継続したいと考えています。

――東南アジア研究に進まれたきっかけは何ですか。
大学時代が1960年代の後半で大学闘争の時代に当たり、皆が政治的な考えを持っていました。国際的には高度経済成長を迎え、日本人がアジアのことを知らないまま経済的に進出していったために現地の人々と摩擦を起こした時代です。そうした状況を見て、「なぜこんなに東南アジアのことを知らないんだろうか」と思ったのがきっかけです。

――どのように研究をなさったのでしょうか。
まず日本の占領期のインドネシアの歴史を学びました。
しかし占領期の政策がどのように実施され、庶民の生活にどう影響を与えたのかということは知られていなかった。それを研究してみようということで、インドネシア語を勉強し、大学院時代にインドネシアに語学留学をしてインタビューを中心としたフィールドワークを始めました。
それが研究のスタートですが、その後は現代の社会にも関心を持つようになりました。

――なぜ、慶大経済学部で指導を始められたのですか。
経済学を全く勉強していない人間が、経済学部の専門課程の先生になるなんて夢にも思いませんでしたね。「大東亜」戦争は食料や労働力など資源の獲得のための戦争だったという博士論文のトピックが経済史の論文に近く、それを読んで下さった経済学部の先生からお誘いを受けました。

――塾生のイメージはどのようなものですか。
よく言われていますが、本をあまり読んでいないことにはショックを受けました(笑い)。特に英語文献ですね。しゃべることはそこそこできるが、読むことをしない人が多いので、もう少し英語をしっかりやってほしいなと思いました。
塾生はインドネシアのフィールドワークで現地の人とすぐ友達になり、接し方に差別が全然感じられなくて、気持ちが優しいのだなと感じました。

――今後のご予定は。
この間戦後日本・インドネシア関係史という新しい研究で日本の博士号を取得し、研究に一区切りついたところ。これからは、開発体制下でアジアの社会がどのように変わっていったのか、学生の研修旅行の成果も交えながら、本にしてまとめたいと思っています。

――塾生に一言をお願いします。
違う世界を見てきた人は考え方がずいぶん変わるんですね。お金はないけれど時間がある学生時代に、社会人になったらあまり見られない場所を周る旅行をできるだけをして、違う世界をうんと見ておいてください。

――ありがとうございました。

(池田尚美)