評論

【つれづれ評論】『悪の教典(上)、(下)』貴志祐介 2010年 文藝春秋

ある時、「あんた最近大丈夫なの?」と母親が私を心配そうに見つめてきた。うら若き愛娘の部屋の本棚を覗くと400ページにわたる辞書のような分厚い本が2冊。『悪の教典』と大きく書かれた背表紙を見れば、そう思うのも無理はないだろう。
 意外にも物語の舞台は高校。ページをめくっていくと校内の人気no.1のイケメン教師「蓮実聖司」とクラスの様々な生徒達の高校生活が描かれている。
 生徒からハスミンと慕われる主人公。生徒一人ひとりのことをとても理解しているイケメン教師。ああ、うちにもこんな先生が居たら…と羨ましがっていたのもつかの間、すぐに異変に気付く。この男、「生徒を理解」どころの騒ぎではないのだ。そして第一章の最後で、この男の本当の姿が分かる。そこから残り約700ページ強。あまりにも非現実なサイコ世界へ一気に堕ちていく。
 「うちの学校には怪物がいる。」高校に野放しにされた「怪物」は好青年の貌を持つ共感能力が欠損したサイコパスだった。
 作者は、人間の欲望や狂気が呼び起こす恐怖を描くことに定評がある貴志祐介。遅筆で知られる作家だが、今回は異例とも言える上下2巻同時発売となった。その読み応えが熱狂的なファンを産み出し、蓮実聖司名義のTwitterでは日夜ハスミンに呼びかける「生徒」たちで賑わっている。先月29日には「反社会的な内容ではあるが、それを嫌う選考委員すらも読ませてしまった」と評され、角川書店創設の山田風太郎賞を受賞した。
 唖然として言葉が出ず、どす黒い雲の中を疾走したような疲労と生涯この本を忘れないだろうという衝撃だけが残った。私が予測するに、今年発売された本の中で登場人物の死亡人数が最多な本になるだろう。
 登場する生徒、同僚教師にしてもインモラルな人物が多いのだが、全て「蓮実聖司」のおかげで欠点が人間らしさの象徴に思え、安心さえしてしまう。しかし、すべての感情が消えたときここまで純粋になれるのかという変な感動もしてしまった。
 洗濯機に回されて放り出される感覚。読み終わった後はまさにこの表現に尽きる。水気をふき取り、アイロンをかけてくれるケアなんて絶対的に存在しない。背筋が寒くなり続けるのでこれからの季節にはどうかという疑念はあるが、頭も心も真っ白になりたい方はぜひ読んでみてほしい。
       (西村綾華)

関連記事

  1. 【学生時代の必読書を教授が指南】経済学部非常勤講師 高木久夫君
  2. 【ART COLUMN】TVドラマ『聖者の行進』(1998)
  3. 《夏の博物館・美術館特集》建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの…
  4. 【名作探訪】舞城王太郎『煙か土か食い物』2004年 講談社文庫
  5. 映画評 「ファイト・クラブ」(1999)
  6. 【ART COLUMN #TOKYO1964_2020 】#FA…
  7. 《2018年度前期総評|サッカー》厳しい戦い続くソッカー部 決定…
  8. 【映画評論】ミリオンダラー・ベイビー
PAGE TOP