仮想の敵からの攻撃に対し、各種の技を繰りなして鮮やかな演武を披露する空手の「形」。

選手がコートに立ち、形の名前を叫ぶと、会場に緊迫した空気が張り詰める。力強さや重みだけでなく、形全体を通した技の緩急や攻めるリズム。洗練された演武で、見る者たちを魅了する。

10月末に行われた「第12回世界カデット、ジュニア&アンダー21空手道選手権大会」。世界中の名だたる空手選手がしのぎを削る中、アンダー21男子個人の形の部で見事優勝に輝いたのは阿部倖地(さきち)選手(19)だった。現在法学部政治学科2年生として慶大在学中でありながら、全日本空手の代表選手として活躍する阿部さん。空手にかける想いに迫る。

形を打つ阿部さん(=提供)

阿部さんが空手に出会ったのは4歳の時。幼稚園からなかなか帰ってこない、と心配した母が迎えに行くと、空手教室に紛れ込んで形を打つ阿部さんの姿があったという。

2006年に日本武道館で見た世界選手権や、地元埼玉の先輩が世界大会で優勝した姿をきっかけに、「世界一になりたい」と強く思うように。小学6年生で全国1位になり、中学3年間は全国大会で史上初の四冠達成。中学3年生で初めて出場した東アジア大会でも優勝を果たし、その後も数々の好成績を収めてきた。

しかし、何度か機会があったにも関わらず、世界選手権の代表選抜には漏れるばかり。幾度となく悔しい思いをしてきた。高校に上がってからは国内での成績に伸び悩み、落ち込むこともあったという。「空手がなかったら楽だろうなと思ったことはある。試合が終わっても次の試合が待ち受けていて、プレッシャーや『やらなくちゃいけない』という苦しみがあり、大変だなと」

それでも、空手を辞めたいと思ったことは一度もない。日本武道ならではの良い伝統は残し、改善できるところは進化させていく、形。競技として捉える以前に、武道としての空手の存在に魅了され続けている。高校生からは海外大会を主軸に活動を始め、ジュニア、アンダー21、シニア、とさまざまな部門に出場。「根本的なからだの使い方や技の意味を直接教わりたい」と、沖縄まで出稽古に足を運ぶこともある。分厚い道着から汗がしたたり落ちる程の厳しい稽古にも全力で取り組み、着実に実力をつけていった。

今回優勝した大会は、代表選手に選ばれる最後のチャンスだった。阿部さんは、「今回の大会は準決勝がヤマ場だった」と振り返る。

「相手選手は自分よりも世界ランクが高く、かつ開催地がトルコで完全に相手のホーム。その状況の中で勝つのはかなり難しかった」。厳しい状況の中でも、ひたすら磨いてきた自らの勝負形で挑み、見事阿部さんに軍配が上がった。

日本は空手発祥の地。それ故に、日本のナショナルチームは世界中から見ても特別な存在だ。今回の優勝は、個人の夢の達成のみならず、日本代表の選手としても意味のあるものだった。

準決勝での演武の様子(=提供)

體育會に所属しない阿部さんは、練習場所の確保から食事・体調管理に至るまで、すべて自らが行ってきた。「茨の道とわかっていても、学業との両立や、海外への遠征期間の確保を鑑み、自分一人でやることを選んだ」

そう語る姿からは、日本の空手選手としての高い意識が見て取れる。慶大を選んだのも、「空手発祥の地である日本の代表として表舞台に立った際、英語が全く話せなかったり自国の文化を知らなかったりすることは恥ずかしい」という思いからだった。今月に開催予定のアンダー21アジア大会についても、「日本代表として、負けるわけにはいかない。優勝は絶対使命」と意気込む。

「辛い時でも良い時でも、自分がそれをやりたいと思っている限りは、執念を燃やしてとことん向き合い続けること」。サイン色紙に記された「執念」の文字から、世界王者という目標への熱い思いが伝わってくる。世界空手の頂に立つ彼の姿は、きっと誰よりも輝いているはずだ。

 

(義経日桜莉)