慶應義塾は昨年創立150年を迎え、義塾の未来に向けてのプログラムを矢継ぎ早に打ち出した。しかし、過去を顧みずして未来を模索することは不可能である。今こそ、苦い歴史をふりかえる勇気を持つことが大切なのではないだろうか。

(金武幸宏、佐々木真世)


・日吉地下に眠る戦争の記憶 日吉台大地下壕 地下で感じる戦争の重み

日吉第一校舎と高校のグラウンドの間を通り、マムシ谷への階段を右折。緑の木々を抜けると連合艦隊司令部の地下壕の入口が見える。「ここで戦艦大和の最後の戦況を受信したんだ」。長年、日吉台地下壕の副会長を務める新井揆博氏は言った|。

日吉台大地下壕の入り口
日吉台大地下壕の入り口

戦争から70年余り。かつて、日本海軍は日吉の地下壕でレイテ沖海戦の戦略を考えた。「何を持ってアメリカに勝つか」。海軍の総力が集結し日吉は海軍の街になった。日本の精緻をこらした独創的な作戦はこの日吉の地下壕で練られたのだ。

摂氏17度の地下壕は保温性に富み、冬は暖かく、夏は涼しい。当時としては、最新の技術を駆使して掘られ、地下の空気の流れまで計算されているという。奥に進むにつれ司令長官室、電信室、暗号室、作戦室へと続いていく。
延長は1200㍍。ぬかるんだ地下壕の坂に時折足を取られそうになる。この地下壕の電信室で戦艦大和が沈められていく様子、絶望的な戦況を受信し続けた。
「20歳になると戦争に行かなくてはならない。ペンから銃に持ち替えるんだ」。運営委員の長谷川祟氏は真剣な眼差しで語る。「慶應義塾も3000人が戦争へ行き、2233人がそのまま帰って来なかった。それでも慶應はまだ戦争を考える機会が当時としてはあったほうだ」

1949年10月1日、米軍に接収された日吉キャンパスが返還され、塾生はキャンパスに戻って来られるようになった。「戦争があと半年早く終わって入れば1000人は助かっただろう」。一つ一つの言葉が重く感じる。

塾生は是非一度日吉の地下壕に足を運んで欲しい。一度地下壕を訪れれば、普段過ごしている慶應を違った角度から見ることができるようになるはずだ。戦争を考える機会というのは今では意識しないと得られない。
連合艦隊司令部地下壕見学は定期的に行われており、見学会の情報は以下のHPから得られる。

(日吉台地下壕保存の会http://hiyoshidai-chikagou.net/

 

(遠藤和希)