3月末をもって、67年間多くの塾生や地元の人々から愛されてきた「日吉ビリヤード」(ひよビリ)が惜しまれつつも閉店となる。

ひよビリは、日吉駅を出て日吉駅前商店街の浜銀通りを進み、一つ目の角を右に曲がったところにある。ビリヤード台6台とダーツ台3台が設置されており、ダンディーなマスターと落ち着いた店内の雰囲気は、多くの塾生に親しまれてきた。大学を卒業しても通う常連客も多くいるという。

ひよびりの店内

記者自身も、初めてのビリヤードはひよビリであった。マスターから直接やり方を教わったのは、貴重な思い出である。

 

ひよビリのマスターであるは、閉店の理由について「数年前から肺を患っており、いつやめるかここ数年悩んでいた。体力が衰えると気力も衰える。やめるならきりのいい年度末がいいと思い、閉店を決意した」と語った。

 

いざ閉店と決まると、悲しさよりも安堵の気持ちの方が強いという。まだ終わりという実感はあまりないそうだ。一方、長年通ってくれた常連さんには申し訳ないと思っていると越塩さんは話す。

ひよびりの店主、越塩邦弘さん

ひよビリの67年もの長い歴史は、父の副業からはじまったという。越塩さんの父親は体が弱く、いつしか副業だったひよビリの経営が本業となった。

 

越塩さんはもともと会社勤めをしていたが、体の弱かった父を見かねてひよビリの運営を手伝うようになり、「継ぐのは俺しかいない」と後を継いだという。息子さんは2人いるが、別の道に進んだそうだ。

 

経営を継いだ当初は学生運動の時期ということで、大学が封鎖されていた。そのため、お店は連日にぎわっており、大変な忙しさだったそうだ。
また昭和62年、ビリヤードをモチーフにしたトム・クルーズ主演の『ハスラー2』という映画が流行し、ビリヤードの一大ブームが起こった。連日深夜まで行列ができ、時間制限が設けられるほどにぎわっており、この時が一番の忙しさだったという。

 

この2つのエピソードは、67年の歴史の中で特に印象に残っていると越塩さんは話す。

使い古されたビリヤードボール

 

最後に、越塩さんは塾生へメッセージを語ってくれた。

「慶應の学生には、本当にお世話になった。長い間学生さんを見てきたが、最近マナーなどが少しがさつになったように感じる。慶應は私学の雄なのだから、きちんと誇りを持って行動をしてほしい」

 

お世話になったマスターを悲しませてはならない。

ビリヤードやダーツの遊び場として、長年塾生を支えてきたひよビリ。ひよビリが残してくれた思い出や感動は、これからも塾生・塾員の記憶として残り続けるだろう。

(三宅樹)