論説2016年4月号 「選択」に寛容であれ

「四月病」という言葉がある。この言葉の意味を問えば、少なくとも慶大生の正解率はかなり高いと思われる。それくらい大学生活の中で耳にする言葉だ。

新入生などこの言葉に馴染みのない人もいるだろうが、大学生活の文脈の中では「やる気に溢れた4月に過剰な量や難易度の履修をしてしまうこと」という意味で使われることが多い。そして多くのケースでは、徐々にやる気を失って授業に出席しなくなったり付いていけなくなったりした人を揶揄したり、自虐するために使う言葉だ。

人はなぜ四月病になるのだろうか。そこには選択することの難しさがある。大学生という時期は多くの選択を繰り返し、どういう大学生活を送るか、さらにはどういった人生を送るかを考える時間である。

誰もが正しい選択肢を選び続けてトゥルーエンドを迎えられるなら良いのだが、実際はそのように上手くはいかない。自分がどのような人間か把握するのも難しく、人間として変わっていくのが大学生という年代である。選んでみた結果納得がいかないということも多々あるはずだ。

自分が思い描いていた自分、期待していた環境、その理想との乖離が大学生のやる気を削ぎ、四月病の発症につながるのではないか。

四月病から立ち直る一番わかりやすい方法は、今進んでいるルートを見直して気持ちをリセットすることだ。選択をやり直すことで自分が頑張れる道を見つけることが重要だろう。

そう考えると、貴重な大学生活を左右する選択をしようとする若者に対して社会は厳しすぎやしないだろうか。慶大の履修システムにしても、4月に1年間の履修を決めなければならない。これから学ぼうという大学生にとって授業を取ってみたら思っていたものと違った、ということは十分にあり得る。自分が履修した授業を真面目に受けられないのは本人の責任だとしても、多少勝手もわかってきた秋学期に履修科目を選択できれば学生の学びたいことに応えられるのではないか。多くの大学は春と秋をわけての履修を採用している。特に1年生にとっては不安も大きいだろう。

一方で学生側もやり直す勇気を持つべきである。初志貫徹は素晴らしいことだが、「選択が失敗だった」「ほかにこうすればよかった」と後悔ばかりしていないで可能な限り進路修正を行わなければもったいない。

思うに大学生という時間は就職という人生最大級の選択の前の最後のモラトリアムである。アルバイトでも学業でも、たくさんの失敗と選択を繰り返しながら成長していくものではないだろうか。社会も学生も、失敗し修正し、選択を繰り返すことを認めるときではないか。