【特集:裁判員制度を考える】必要なのはあくまで「国民の目」(大東文化大学 法科大学院教授 平良木 登規男氏)

―裁判員制度の意義はどのようなものでしょうか?
 裁判員制度の意義は、裁判自体を分かりやすくして、国民と裁判を近付けるシステムを作り上げることにある。
 立法、行政、司法の三権のなかで、司法を担う裁判官だけは国民から直接選出されていない。裁判は技術的な性格もあって専門家である職業裁判官の手に委ねられている。しかし、専門家だけによる裁判は、国民意識との間にギャップが生じやすい。
 そんな中、少年事件において判決が二転三転する事態が生じ、光市母子殺害事件における量刑の当否が国民の間で盛んに議論されるなど、現行の裁判における問題が浮上してきた。戦後60年を経て制度疲労という問題もあり、裁判制度の見直しが考えられるようになった。国民の基盤の上に成り立つ裁判を作るには、国民の意見を反映させるシステムが必要だ。国民がおかしいと思うとき、それを批判出来るように、裁判を誰の目にも分かりやすくしておくことが大切だ。
 歴史的には民衆が裁判に参加するということには権利的な意味があった。欧州と違って日本にはそのような歴史的必然はない。それゆえ、裁判員裁判の導入は、いってみれば多分に理念先行的なところがある。

―裁判員制度の問題点は何でしょうか?
 裁判員を国民の中から無作為に選ぶということ。裁判員制度が適用されるのは、殺人や放火といった重い事件であり、国民への心理的負担はかなり大きなものになるだろう。連日の公判に参加することが精神的に耐えられず、役割を放棄する人が出てきたら、それは制度にとって大きな問題。また、その無作為性ゆえに質のよい裁判員の確保が可能かという点も懸念される。

―選ばれる裁判員により下される刑の重さが変わり、不公平では?
 裁判で有罪判決を言い渡す等、被告人不利な結論を出すには、全体の過半数でかつその中に裁判員と裁判官の双方が含まれなければならない。多少のバラつきは出るかもしれないが、裁判員の参加で極度な重罰化が進むということはないと思う。

―裁判員制度に関する学生アンケートを見てどう思われますか?
 「制度に参加したくない」という声が多いのはやむを得ない結果だと思う。ただ、国民にとっての裁判を行うための制度であるのに、面倒だから参加したくないという意見は良くない。また「素人が人を裁けるのか疑問」という意見もみられるが、裁判員に求められるのは事実認定、法の適用、量刑判断であり、法律判断は裁判官が行う。必要なのはあくまで「国民のものの見方」である。裁判を良くするために、国民と裁判を近づけなければならない。

―今後学生は裁判員制度とどう関わっていくべきでしょうか?
 まずは司法に対して関心を持ってもらいたい。制度の将来を見続け、選任されたら積極的に参加するという心構えもってもらいたい。実際裁判に参加することになったとき、社会経験の少ない学生にとって、役割は難しいものになるだろう。しかし、20歳前後の加害者の数は少なくないし、同年代の学生の意見・感覚を反映させる必要もある。裁判員制度において一番大切なことは、物事をしっかりと見ることが出来る目であり、この能力はどの分野でも必要とされる。世の中をよく見て、いつでも自分の意見をはっきりと言えるようになると良いだろう。