―裁判員制度の是非についてどう思いますか?
 総論は賛成。日本が民主主義の実現を目指す上で、司法権に市民が参加するという発想が生まれるのは当然だと思う。素人が人を裁くことに関して、証拠から事実を認定する過程に市民感覚を入れることは意味がある。これをきっかけに取調べの可視化や、裁判の手続きの一層の適性化を図ることができるだろう。
 しかし、各論には多くの問題がある。まずこの制度を始めるには、まだ時期が早すぎる。今のままでは、国民は押し付けられているような感覚を持つだろう。憲法を含めた法教育をより充実させ、国民の理解を得られてからでも遅くはない。
また国民の負担が大きすぎるのも問題だろう。素人が有罪か無罪の判断だけでなく、死刑を含む量刑まで決めるのは簡単なことではない。加えて裁判員には守秘義務があり、それを守り通す心理的負担も大きい。

―最大の問題点は何だと思いますか?
 司法権を監視するべき裁判員が、逆に裁判官に利用されてしまう恐れがあることだろう。裁判員が裁判官の誘導に迎合してしまい、結果として裁判官の判断を正当化する材料に使われる可能性がある。裁判員が司法権という権力に取り込まれてしまうのを避けるためにも、選ばれた人は意識を高く持たなければならない。

―それらの問題を解決するために必要なことは何ですか?
 少なくとも開始を延期すべきだという声を政治家に届けることだろう。FAXなどで直接意見を送るのも良いし、インターネットなどを活用しても良いと思う。一人一人が積極的に主張することが重要だ。

―今後の法曹界の理想像とは?
 他学部生や社会人を含めて多様なバックグラウンドをもった人材によって層が厚くなることを期待する。そして市民に分かりやすく利用しやすい司法を実現することだと思う。

―裁判員制度に関する学生アンケートを見てどう思いますか?
 「裁判員制度は必要か」という問いに対し、「わからない」と答える人が多いのは、なぜ生まれたのかはっきりしない制度に対しては、自分の意見が持てないことを表している。この点は国民の感覚と合っている。「やってみなければ分からない」という意見もあるが、これは被告人にしてみれば不完全な制度によって裁かれることを意味する。そんなことはあってはならないし、もっと議論が必要だろう。

―今後学生は裁判員制度とどう関わっていくべきでしょうか?
 もし裁判員に選ばれたら、司法権という権力を市民感覚でチェックするという役割を忘れてはいけない。その際には憲法、刑事訴訟法などの基礎的な知識は持っておくべき。裁判の中で人と違うことを言うのは、とても勇気が要ることだ。しかし異論こそが重要。周りの雰囲気に流されるようなことがあってはならない。自分に素直になり、自らの意見を堂々と主張することが必要だと思う。