【震災3年 大震災は終わらない】仮設校舎で今を生きる―福島県南相馬市①

仮設校舎

福島県南相馬市。震災による原発事故の影響で、町の一部は一時立ち入り禁止となった。自宅が津波にさらわれ、仮設住宅での生活を余儀なくされる人も相次いだ。原発関連の報道は未だ止むことはないが、そこに生きる人たちの報道は少なくなった。震災から3年。彼らは「今」をどう生きているのか。大人の目、子どもの目で見る「今」を求めて、仮設校舎で授業を行っている南相馬市立小高小学校を取材した。


仮設住宅、仮設校舎という言葉を知らない人はいないだろう。復興は進んだが完全とは言えず、以前のような暮らしを取り戻したわけではない。

南相馬市立小高小学校の生徒は現在、他区にある中学校の敷地内の仮設校舎で学校生活を送っている。もともと小高区にあった小学校は、原発事故の影響で警戒区域に指定され使用不可能となり、指定が解除された今でも無断では中に入れない。仮設校舎は4校が合同で使っており、1階が小高小学校だ。もともとの生徒数は400名。しかし全国各地への避難や区域外就学のため、現在は各学年1クラスずつ、全体で100名ほどの生徒が在籍している。

仮設校舎
中学校のグラウンド内にある。1階が小高小学校
授業中の風景
給食の様子
子どもたちはバスで登下校する

仮設校舎を訪ねると、校舎横のグラウンドで中学生が体育をしている一方、校舎内からはかわいらしい声が聞こえた。子どもたちは歌を歌ったり、書道をしたり、グラフを使って計算したりしており、そこに広がっていたのは「普通の小学校の風景」だった。とても震災という大きな出来事を乗り越えたようには思えない、明るい雰囲気が漂っていた。笑い声の絶えない学び舎に生きる大人と子ども、教師と生徒の視点から彼らの「今」を見つめたい。

 

――教師の視点

校長の飯塚宏さんは、震災当時の心境を「何が起こったのかよく分からなかった」と振り返る。復興を望むかたわら、「本当に元に戻れるのか」という不安も強かった。震災から1ヵ月後、25名の生徒が戻ってきた。いつもより大人しく、「先生の言うことを聞かなくちゃ、という感じが伝わってきた」と飯塚先生は語った。震災後初めての給食はおにぎりと牛乳とソーセージだけという少ないものだったが、子どもたちは喜んでいた。

月日が経ち、生徒もかなり戻ってきた今、抱えている問題がある。例えば、放射線量の影響で給食の食材に県内のものは使えないこと。また、避難の関係で別の小学校から転校してきた生徒がいるため校区がばらばらで、長時間かけてバス通学したり、保護者に車で送迎してもらったりと負担が大きい。施設に関して言えば体育館や理科室などの特別教室がない、水道がないといったすぐには解決できない問題が多い。

しかし、全国から応援メッセージや書籍、義援金などたくさんの支援も受けた。飯塚先生は「たくさん支援してもらったように、子どもたちには他の人に思いやりの手を差し伸べられる人になってほしい。そのために、私たちは学びの環境を整えていきたい」と語った。

――生徒の視点

震災前と比べて変化したことを尋ねると、よく聞いたのが「体育の時間が少ない」だった。仮設校舎に体育館はなく、体育の授業は中学校の体育館を借りて行っている。遊具は少しあるものの、もっと身体を動かしたい彼らにとっては、少し物足りないそうだ。

不満ばかりではない。ある女子生徒によると「他の小学校の子と友達になれる」とのこと。運動会や地域のイベントは他の3つの小学校が合同で行う。「他の小学校と同じ校舎っていうのは不思議だけど、おもしろい」とその子は笑った。

小学生の彼らにとって震災時はまだ幼く、あまり記憶がないかもしれない。それでも「久しぶりに友達と会えて嬉しかった」、「給食は少なかったけどおいしかった」という。そして、「今ね、すごく楽しいよ」と。子どもたちは、しっかり前を向いて「今」を生きている。

復興や原発に関して厳しい現実の報道を目にすることが多いが、子どもたちは笑顔を絶やさない。今回の取材で、報道では知りえない姿を見ることができた。彼らは我々にはない問題を抱えている。しかしその一方で、我々が思っている以上に明るく前を向いていることには間違いない。
(武智絢子)

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