津波で家を失い仮設住宅で生活する人もいれば、家自体は無事に残っているのにそこに帰れず、仮設住宅に住んでいる人もいる。震災による原発事故の影響だ。原発事故は人々の生活を大きく変えてしまった。

倒壊した建物はないのに、人の気配がしない。犬の散歩をする人も見ないし、子どもの笑い声も聞こえない。小高小学校の旧校舎がある南相馬市小高区がその場所だ。実際に訪れて、人のいない空気を感じてきた。

道中目に付くのは、ピンク色ののぼり。「除染作業中」と書かれており、近くには作業用トラックや作業員の姿が見えた。

除染作業中のピンクののぼりがはためく
旧小高小学校校舎

小高区は原発から20km圏内に位置し、当時は警戒区域に指定されていたため、立ち入りが禁じられていた。現在、指定は解除されているものの、水道、電気、ガスが止まっていたこともあり、人が住んでいる気配はない。家の庭は荒れ、少し開いた2階の窓からはカーテンがはみ出している。外付けの金属製の階段は錆びていて踏むと音をたて、倒れた自転車はそのままになっていた。まだ陽が高いのにしんと静まりかえっており、時折工事の音とトラックが通る音だけが聞こえた。

旧校舎には中に入れないようポールが立っており、敷地内ではいまだ除染作業が続けられていた。旧校舎付近にはいくつか学校が存在したが、校舎の時計は止まったままで、校庭から生徒の声が聞こえることもなかった。時が止まっているかのような印象を受けた。その一方で草木は背丈に追いつきそうなほど成長しているのが、妙に不気味だった。

「人が住む」ということは、時を動かすということなのだろう。息遣いが、生活音が空気を作っている。仮設校舎だが「今」を生きている現小高小学校の空気とこの旧校舎の周りの空気はまるで違い、衝撃を受けた。

帰り際、別の学校からチャイムが聞こえてきた。陽が傾きかけた空に響く音を聞きながら、旧校舎をあとにした。

家はあるのに、帰れない。そういう状況が今でも続いている。人のいない建物は空っぽの箱のようで、どこか物悲しい。仮設住宅で暮らす人、仮設校舎で学ぶ子ども、みな前を向いて生きているが、それは震災の傷跡から生まれた生き方だ。震災は多くの傷跡を残したが、その分得たこともあるだろう。風化という言葉を耳にするが、時折過去のことを思い返して前を向いて歩いていきたいものだ。
(武智絢子)

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