【500号Project 伝-慶應の足跡-】フリーアナウンサー 青木裕子氏

あなたは「伝」という漢字に何を思うだろうか。伝達、伝説、伝統…。今年7月に迎えた塾生新聞500号を記念して、「伝」をテーマに社会で活躍されている慶應義塾に所縁ある人物に焦点をあててきた。最終回となる今回は、フリーアナウンサーとして活躍し今年の3月に第一子を出産、ママとしても活躍する青木裕子氏だ。

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■ 青木 裕子(あおき ゆうこ) 1983年埼玉県生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、2005年にTBS入社、アナウンサーとして活躍。2012年12月末退社し、フリーアナウンサーとして活動をスタート。2013年、ナインティンナインの矢部浩之さんと入籍し、2014年3月に長男を出産。講談社『FRaU』での連載「青木裕子の泣いたり食べたり笑ったり日記~妊娠&ママ編~」に加筆・修正を行ったフォト&エッセイ『母、妻、ときどき青木裕子日記』(発売元:講談社)を12月15日(月)に発売予定。
■ 青木 裕子(あおき ゆうこ)
1983年埼玉県生まれ。慶應義塾大学経済学部を卒業後、2005年にTBS入社、アナウンサーとして活躍。2012年12月末退社し、フリーアナウンサーとして活動をスタート。2013年、ナインティンナインの矢部浩之さんと入籍し、2014年3月に長男を出産。講談社『FRaU』での連載「青木裕子の泣いたり食べたり笑ったり日記~妊娠&ママ編~」に加筆・修正を行ったフォト&エッセイ『母、妻、ときどき青木裕子日記』(発売元:講談社)を12月15日(月)に発売予定。

画面の向こう側を想像する

慶大に入学した時は「普通の大学生」だった。ほかの人と同じように授業に出て、サークルはテニスサークルに入った。

転機は大学1年でミス慶應に選ばれたことだ。多くの人に出会い将来を考えるきっかけになった。また、大学での少人数授業や、短期留学などに参加し多くの人に出会うように努めた。出会った多くの人に活躍する自分を見てもらいたいと思い芸能活動を積極的に始めた。

卒業後はTBSに入社し、アナウンサーとしてデビューした。この時アナウンサーとして伝えるということは「与えられた内容を視聴者に違和感なく伝えること」と考えていた。原稿を正確に違和感なく読むということは想像以上に困難だ。滑舌や発音など、自分の課題に取り組んだ。

しかし、原稿を読むだけがアナウンサーの仕事ではない。書かれていないことを発信する時もある。自分の伝えたいこととは違って受け取られることもあった。

アナウンサーは放送の中で速報に触れてはいけない。全国で同じ速報が流れる訳ではないからだ。しかしある時、番組中に目を引く速報が流れた。速報に注目を集めたくないととっさに思い、「今はその速報に注目しないでください」と発言した。その場をしのぐために発言した何気ない一言が視聴者から大きな批判を受けた。「その速報が嫌だからそんな発言をしたんだ」、「なんてひどい言い方だ」、と受け取られた。不特定多数の人間に伝えることの難しさと発する言葉の責任を痛感した。「どうしてこんな悪く捉えてしまう人がいるんだ」と思い、アナウンサーとして発言をするのが嫌になることもあった。しかし、「多くの場数を踏んでようやくどういう時にどんな発言ができるかが分かってきた」。

フリーアナウンサーに転向すると、以前に増して自分が発信することを求められる仕事が増えた。カメラの向こう側には自分が出会ったことがないような人たちもいる。食事をしている人、入院している人、さまざまな視聴者がカメラの先にいるということを想像することが大事だ。

収録現場の空気では笑える「うるさいよ」の一言であっても、放送される時にはそれを「失礼だ」「不快だ」と取る人もいる。しかし、それが悪く受け取られても、今はそれを受け止める覚悟をして仕事をしている。

発言の一つ一つに責任を持ちながら、全国の人たちに思い通りに伝えることは困難だ。視聴者の私たちはテレビの中の人間になんとでも言える。しかし、発信する側は多くの困難を乗り越えて必死に私たちに伝えているのだ。  (在間理樹)


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