論説 学生による授業評価の活用を

私が今まで19年間イタリアで受けてきた教育と、今年の4月に日本へ留学し、慶大1年生として初めて体験した日本での学びは大きく違うものだった。

普段の授業では空席が目立ち、テスト2週間前になると今まで顔も見なかった同級生たちがレジュメや過去問などを集める。本来の学ぶべき時間を大きく省略する生徒たちの中で単位の取れない者はほんの少しだった。

自らが選択し、履修した授業に興味を示さない者がテストを受ける資格を持ち、単位を取ることができる。すなわちここでは、約3カ月間行った授業の内容を約2週間でマスターしている生徒が非常に優れていると評価されているか、3カ月間行った授業の内容把握のためのテスト内容が非常に簡単であるのだ。「単位がもらえればそれでいい」。同級生が発するその一言は私が体感した日本の大学教育を表しているように思えた。

私がイタリアで受けてきた教育では、物事に関して自分の意見、考え、世界観を作り上げることが求められていた。「ナポレオンとヒトラーがなぜこれほど違う人生を歩んだ?歴史的状況と政治背景を比較して論ぜよ」。歴史一つの試験でも、平行して学ぶ哲学や経済の知識を総動員した。教授と1対1で行う、1時間に及ぶ議論。口頭試問という評価手法は点数よりも考える過程を大切にする。

学問に対して独自の素晴らしい世界観を持つ慶大の教授たち。その世界を垣間見える機会が設けられているのであれば、塾生がそれを聞き、理解し、どう思ったかテストを通じて確かめるべきなのではないだろうか。もちろん海外に比べ、日本の大学は履修する授業数が多いということも考慮しなければならない。しかし、レジュメを持ち込んだら答えが導きだせる選択肢、参考図書を丸暗記すれば分量が埋められる記述問題。慶大のテストは、授業の内容を理解したかを確かめる手段としてあまりにも楽だった。授業の難易度と、そのテストの難易度が両立していないと感じたのだ。

現在も慶大で勉強を楽しみ、知識を吸収している学生は多くいる。しかし、さらに多くの学生がその喜びを知るため、そしておのおのの素質を十分に引き出すために、彼らが評価される手法をもう少し工夫する必要があると感じた。

(上野アルベルト大和)

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授業内容や評価基準に対する塾生の意見を、今後の授業に反映させようとする試みが進んでいる。

慶大は2008年3月、各学部・各研究員から構成されるFD(ファカリティー・ディベロップメント)小委員会を立ち上げた。当委員会は、課題として「学生による授業評価」の問題点を洗い出すことを挙げている。

慶大では以前から、FDの一環として「学生による授業評価」アンケートを実施してきた。学期末の授業最終日に、学生自身の出席状況や授業内容についてのアンケート用紙を配布している。

しかし、実施状況は限定的で、いまだ十分とはいえない。

もちろん、学生が授業を評価することで、事態が改善するとは限らない。だが「楽な授業」ではなく、「有意義な授業」を履修したいと考える塾生も決して少なくない以上、まずは彼らの声に耳を傾けるべきではないか。意見を取り入れるかどうかは、担当教員自身が判断すれば良い。

また、授業評価を拡大することと同時に、アンケート結果を全学部で公表することも検討すべきだ。

たとえば法学部では2003年度以来、一部の授業評価のアンケート結果を冊子で公表している。日吉・三田キャンパスの学部掲示板には現在、昨年度の冊子が積まれている。

この冊子には、アンケートの集計結果に加え、担当教員の所見が掲載されている。そのため、来年度の履修選択時に有効な判断材料となるだろう。

教育の質を一層高めるためには、教員と学生によるコミュニケーションが不可欠である。その手段として、「学生による授業評価」をもっと積極的に活用していきたい。

(横山太一)