今夏、甲子園で優勝を果たし、旋風を起こした慶應義塾高校。その裏には選手たちを支える学生コーチの活躍があった。学生コーチは、コーチとして塾高の部活に参加し、指導に当たる慶大生を指す。今回は、塾高野球部で学生コーチとして指導に当たっていた杉岡壮将さん(政4)に話を聞いた。

 文化を受け継ぎ後輩に

前回塾高が甲子園出場を果たした2018年。杉岡さんは、チームの一員として大会に臨んでいた。高校野球引退後も大学での活躍が期待される中、怪我が障壁として立ちふさがった。「選手の時に、怪我をして、それが完治せず、大学で野球を続ける自信がなかったですね」

その中で、学生コーチとしての活動を選んだ。

背景には、教えることが好きだという思い、そして自身が、学生コーチに支えられた経験があった。杉岡さんが、怪我した際、できる練習が限られていたが、怪我をしながらでもできるメニューを考え、親身になって相談に乗ってくれた。

「自分が選手の時に、当時の学生コーチの人に、すごくお世話になった経験が一番大きな理由ですね。この学生コーチという塾高野球部独自の文化、制度を後輩に受け継ぐことが大事だと思いました」

 選手に委ね考えさせる

現在、塾高野球部では7名の学生コーチが活動している。それぞれ、セクションに分かれ、打撃、守備など担当が分かれている。学生コーチに就任した当初は、自分の考えを言葉で表現することに苦労したと話す。自身が選手とコーチとの立場では求められるものは異なる。

「選手時代は自分の感覚を大事にしていました。しかし、コーチになった時に、その感覚をどう言語化し伝えるかは難しかったです」

指導する際に、大切にしていることは、選手自身に考えさせること。はじめから、選手に具体的なアドバイスを与えない。まずは選手に自身の課題を説明し、認識させる。そこからの解決法は選手に委ね考えさせる。

「選手の感覚や考えは基本的には尊重しています。選手の意見はなるべく否定せず、自主的に考えさせることを大切にしています。」

 大人としてのふるまいを

塾高野球部では選手が自ら考え、その考えを監督、コーチは尊重する。その環境の中で選手は、自らが自立した個人として振舞わなくてはいけない。エンジョイベースボールが成り立つのは、選手たちが自立した意識を持っているからだ。

「野球人としてのみでなく、1人の人としてこうあるべきだ、正しくあってほしいっていうような指導をしているように僕は感じます」

塾高は、今夏、甲子園で応援でも注目を集めた。

スタンドが一体となった大迫力の応援だった。その応援をまとめていたのが、塾高應援指導部。彼らの指導にも学生コーチが関わっている。

今回は、應援指導部学生コーチ金澤圭城さん、山田祐宇さん、村井裕樹さん、吹奏楽部学生コーチ土橋祐太さんに話を聞いた。

 失われた応援席

コロナウィルスの感染拡大によって約3年間、声を出しての応援は、規制されていた。塾高應援指導部は声出し応援の経験がなかった。そこで、大学應援指導部で、コロナ禍以前の応援を知っているOBなどが、指導に当たった。

應援指導部は、応援団ではない。応援を先導して、観客を巻き込んだ応援を作り上げる。コロナ禍でこの伝統が消えてしまうことへの危機感があった。應援指導部の土橋さんは、「お客さんが声を全力で出して応援できる場、塾生塾員が集まって 応援できる環境を戻したかった、その一心に尽きます。昨年は、

その慶應らしい一体感や雰囲気に大きく欠けていました」と話す。

 思いを伝える難しさ

実際に学生コーチとして指導を始めると現役部員との接し方や、意識の違いなど難しいことも多かった。「最初の方は、現役部員からの信頼は、あまり得られていませんでした。一緒に練習したり、話し合う中でも意見の対立などはありました。」

應援指導部では、応援の一つ一つのアクションに対して、意味づけをする。その意味付けに関して対立が起きていた。しかし、実際に試合の中で応援をするにしたがって、理解が進んだと、村井さんは話す。

「最初は、ぶつかってたんですけど、試合を経てくごとに現役部員が応援のアクションに対してなぜこれをやるのかっていうのを徐々に、理解し始めたのを感じました。」

 集大成としての決勝での応援

学生コーチの思いとして、「部員全員が応援席の良き先導者となってほしい」という思いがあった。土橋さんは、甲子園を振り返り、その思いが伝わったと話す。

「決勝は 勝利できたという意味でも、優勝できたという意味では100点。応援のチーム力として100点だったなと思います。何か足りないものは補い、自分たちで答えを模索し続けられていたと思います。」

学生コーチは、部に受け継がれる伝統、精神を受け継ぎ、自身の経験を伝えることで、塾高の部活を陰から支えている。   

(鈴木廉)