慶大発の嗅覚トレーニングデバイス「余薫」が、海外のデザインコンペティションで七つの賞を獲得した。

余薫の香りを嗅ぐ女性(写真=提供)

余薫は白い壺型のデバイスで、デバイスに近づくことで上部から香り付きのシャボン玉が膨れ、弾けて香りが広がる。香りを継続的に嗅ぐことで嗅覚低下を防止し、健康寿命を延ばす目的をもつ、新しいヘルスケアの形である。デバイスを開発した慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科(以下、慶應SDM)× 慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュートの研究チームのうちの一人が、慶應SDMの伊藤翼氏だ。近年、視覚や聴覚などに関する技術が発展している中、嗅覚に焦点を当てて研究開発を行う氏に、余薫の開発過程や自身の研究について聞いた。見えたのは、常に研究を楽しむ氏の姿勢だった。

伊藤翼さん(写真=提供)

 

試行錯誤を重ねた開発過程

嗅覚に焦点を当てる、という研究テーマは、開発チームの多様なバックグラウンドを持つメンバー共通の関心事項から生まれた。年齢も職業も異なる六人が目を付けたのはヘルスケア。「格好良い歳のとり方をしたい」という話題から、感覚器の衰えへの関心が見つかった。

五感の内、他の感覚に比べてあまり着目されていない嗅覚に焦点を当て、新しい課題を見出した。「嗅覚には未知な部分も多く、今後大きな可能性を秘めているところに面白さを感じる」と語る。香りと記憶や、認知症との関連など、複数の分野にまたがるアプローチが可能な点にも嗅覚の未知の可能性は広がっている。

嗅覚の衰えを解決する、というテーマは見つかった。しかし、それを伊藤氏の専門であるシステムデザインの側面からどう解決するかが次の課題だった。想起したアイデアを具現化していく難しさに加え、開発当時はコロナ禍だったことによる衛生面での制約も入った。

そんな状況も、氏は「面白くもあり大変だった」と振り返る。メンバーと様々な材料を用意して持ち寄り、何度も試行錯誤を重ねた。実際に手を動かして開発を行う中で、シャボン玉で香りを可視化する、という発想に辿り着く。バブルガンのシャボン液にカレー粉を混ぜることで香りの可視化を具現した。実際にシャボン玉が割れる時の儚さや、一気に強まる香り、刹那的な一部始終から余薫開発のヒントを得た。

余薫の口から出るしゃぼん玉(写真=提供)

また、日本の伝統的な芸道であり、香木から立ち上る香りを楽しむ香道の体験からもインスピレーションを受けており、和の雰囲気や厳かさはその見た目に反映されている。

 

嗅覚トレーニングにおいてコミュニケーションが担う役割

余薫が海外のデザインコンペで高い評価を得た理由として、氏は「課題設定の良さ」を挙げる。既に世の中に存在する嗅覚トレーニングを、デザインを用いて日常に溶け込ませること。そして、目に見えない「香り」を、シャボン玉を介して可視化する、ビジュアル面でのインパクトも評価されたと分析する。

氏は、余薫での嗅覚トレーニングを人々が継続し、嗅覚低下を予防することを目標として開発を続けている。ターゲットは嗅覚低下が起こる前の、50・60代だ。余薫の開発で、人々の関心を嗅覚低下と嗅覚トレーニングに向けることはできるだろう。しかし、実際に嗅覚トレーニングを継続してもらうという課題が残る。

そこで、継続の難しさを、コミュニケーションで補うことを目指す。「人と人とを香りで繋ぐことで無意識のうちに嗅覚トレーニングをする、という形で日常の中に溶け込んでいけたら」と言う。誰かを思いながらも、会話よりも直接的でない、それとない「緩やかな」コミュニケーションを用いることが嗅覚トレーニングの継続に繋がる。

余薫の開発を通じて目指すのは、嗅覚に関心が向く社会。嗅覚のように目に見えないものを身近に感じ、気持ちや生活を豊かにしていくような、ゆとりのある社会が伊藤氏の思い描く未来である。

 

研究を「楽しむ」姿勢

余薫は今後、嗅覚トレーニングを目的としたコミュニケーションデバイスとしての更なる進化を目指す。より日常で使いやすくし、いずれは社会実装も視野に入れている。

「研究」というと、辛さや苦しさが想像される。たしかに、氏の嗅覚トレーニングの研究も大変な部分が多かった。しかし、「やってみたい」「楽しみたい」という純粋な好奇心が根底にあるため、続けられる。伊藤氏は、慶大生へのメッセージとして「上手くいかなくても楽しめるような気持ちや、情熱を持てる、気持ちを傾けられるようなことに打ち込んでほしい」と語る。好奇心を忘れずに持ち続けることは、研究に限らず人間の原動力として我々を突き動かすだろう。

(佐竹麻帆)