体全体で「関わりに行く」ということ――文系学問と実験のつながり 慶應大学言語文化研究所 加藤昌彦教授インタビュー

特定の地域について研究する際、自身がそこへ溶け込んでしまうという研究手法がある。フィールドワークというその手法について、言語文化研究所教授、言語学者の加藤昌彦に話を聞いた。

加藤昌彦教授

フィールドワークとは、実際に自分が現地に赴いて調べる研究方法のこと。言語学者は、現地で収集した単語や音声を分析し、言語構造の解明を試みる。少数言語の場合出版物がないケースが多く、現地に行かないとそもそも調べられないそうだ

「単語や文のデータを徹底的に、大量に集める。規則を見つけるために、総当たり的に調べていく。点は理系的で、化学でいうこれとこれを混ぜるとこうなる、という作業と似ています」

加藤氏の専門は、少数言語を含む、東南アジア諸言語主にカレン系諸言語やビルマ語研究するためフィールドワーク重ねてきた。言葉というデータを収集・分析し体系づけていく研究方法は、いわば実験。実験と聞くと理系を連想しがちだが文系分野でも強力な武器になる。

集めた単語や文といったデータを分析し、ルールを見つけ出す。ルールが見つかったときが一番楽しいと加藤氏は語る。調査表に基づいて現地の人に発してもらった言葉を、録音したり、ノートに書きとめたりして調べていく。集めたデータにどんな規則性があるのか最初はわからない。その一見混沌の中から、ルールの糸口を見つけられたときの感動はひとしおだ。

現地で書き留めたノート。単語や文に通し番号をつけて分類する

現地調査ならではの醍醐味は、新たな価値観との接触だという。東南アジアの人々の会話を耳にして、悪いことをした時に沢山言い訳をすることに気がついた。日本ではかえって怒られそうなものだが、そうしないと失礼あたるとされる。そして、言い訳を聞いた人は決まって相手を衝撃を受けた文化に隠れていたのは、彼らの思いやりだったのだ。また東南アジアの大学を訪れた時のこと。工学部、医学部といった理系学部に日本の大学比べ女性の割合が圧倒的に多い。女性数字に弱いというイメージが壊れた。「自分が常識だと思っていたことがことごとく覆されていきます」固定観念が一気に壊される、そんな経験をもたらすのがフィールドワークだ。常識が壊されれば壊されるほど、自分が自由になっていくようでもある。

カレン人と餅つきをする加藤氏。タイ・ミャンマー国境のカレン人難民キャンプにて

時代や場所によっていろいろなことが変わる。この時代、場所という点で生きている人たちは、他の点のことはわからない。でも、大学で学問をするとわかるんです。私は日本の『こうしないといけない』という決まりに窮屈さを感じていましたが、この社会だけの決まりなだと。実は世界には、違う常識というものが沢山ある。そう考えると楽になりませんか。若い人達を見ていると、既成概念にとらわれすぎているように感じます。もう少し自由になっていいのではないでしょうか」

祭りで踊りの奉納をするカレンの人々

移動が制限される現在は、zoom調査、動画投稿サイト、SNSといったオンライン上のコンテンツからデータを収集し研究を進めている。不便さの一方、今まで集められなかった種類の発話と出会える面白さがあるという。

「文化を相対的に見る癖をつけてくださいね」。インタビューの終わりに、記者が加藤氏に掛けてもらった言葉だ。「いろいろな言語と接してみてわかるのは、言語には優劣がないというこ。少数民族の言語を研究していると言うと、語彙数が足りないのでは、複雑なことを言えないのではなどと聞かれ。でも、そんなことは一切なく、言語自体は凄く精巧です。哲学の議論だってします。文化も同じです。私が感じていた日本窮屈さは、一方社会を平和に保ったり、進化させたりする原動力になっている。ある面から見れば悪いし、ある面から見れば良い。文化は優劣で説明できないのだということを実感ます」

カレン人のシンボル的な存在であるゾエカビン山

相違点から見えてくるのは意外にも共通点葬式を派手に行うミャンマー人は、死を悲しまない冷たい人々なのではなく、そうすることで悲しみを覆い隠そうとしている。悲しいという感情は共通で、その乗り越え方が違うだけなのだ。加藤氏が経験を通してわかったのは、民族が違えど喜怒哀楽は普遍だということ。「基本は同じで、表面上一部分だけ何かが違っていて、それが我々には際立って見えるんですよね」

五感を使った体験は、私たちの常識を大きく揺さぶ。新しい場所に飛び込み、身を委ね、揺さぶられた先で見えるのは、誰もが分かり合えるという希望なのではないか。学ぶことは救いにもなる。

三尾真子