野球部 中林 伸陽 ―財産は人との出会い―

2009年度、慶大野球部は春季3位、秋季2位と優勝には届かなかったものの、秋の慶早戦では2連勝と有終の美を飾った。一方ソッカー部は、今季1部昇格して最初のシーズンで5位と健闘。そして、充実のシーズンを送った両チームには、それぞれ絶対的なエースがいた。野球部背番号18、中林伸陽(商4)。ソッカー部背番号10、中町公祐(総4)。二人のエースは、引退を迎えた今、何を思うのか。

―今年はどんな1年でしたか
チームとしては、優勝出来なかったけど、不甲斐ない戦いに終わった春から、秋までには立て直せたことは自信になった。自分にとっては、最後の早慶戦で2連勝できて良かったけど、ドラフトには漏れてしまい、良いことも悪いことも様々なことを経験できた1年だった。
―ドラフトで指名されなかった原因は何だと思いますか
全体的に実力が足りなかった。コントロール、球速、変化球のキレ、連投できる体力。プロに入って先輩の技術をたくさん盗んでいきたいと思っていたけど、結果的に自分が基準値に達していなかった。社会人になって全部の力を1から上げていきたい。
―体育会で4年間過ごして変わったことはありますか
何が変わったかはわからないけど高校よりは確実に成長していると思う。共同生活もあるし、大学のキャンパス内でも新しい人と出会ったりするので。
―最後の早慶戦の試合後、球場から出て大勢の人が拍手を送っていました。中林さんの人柄で今まで積み重ねたものがあると思うのですが、そういったものを形成させてくれた出来事はありましたか
出来事ではないが、僕なんかを応援してくれている人がいるなら、その人は大切にしようと心がけている。結果もそうだけど、サインや握手で恩返ししようと思っていた。そう思っていたところでたくさんの応援をしてくれてうれしかった。ドラフトの2日後だったので、涙が出るほどうれしかった。
―最後に一言お願いします
7年間で本当に人間的に成長できたと思っている。それは上も下も横も、慶應としての繋がりを感じた7年間だった。人との出会いというのは本当に財産だと思う。今後、7年間の財産をなくすことなく、どんどんプラスにしていければと思う。
聞き手=飯田拓也

ソッカー部 中町 公祐―人物の差は苦労の差―

―今シーズンを振り返ってどうでしたか
1部に上がって最初の年だったので、手探りの状態だった。それでもメンバーが去年からあまり変わっていなかったこともあって、全員でチャレンジしていく気持ちでやっていけた。結果5位だったけど十分やれたと思ってる。個人としては、ベストイレブンも獲れたけど、それよりもソッカー部に入って1年で1部へ昇格、1年で5位にまでいけたことが嬉しかった。
―慶大でのサッカーはどうでしたか
大学サッカーの世界では試合に出られない人がとても多い。それでもみんな必死で練習をしている。試合ではそんな仲間が応援してくれる。本当に嬉しかった。
僕は3年生のときソッカー部に途中から入ったわけだけど、始めはチームからの反発もあったみたい。それでも監督がすごく信頼してくれて、僕はサッカーのことだけやってこれた。ヤス(中川前主将)やオリ(織茂前副主将)のおかげで良いチームバランスも築けたよ。
―07年までJリーグでプレーしてきたわけですが、プロと大学で違いはありましたか
プロでも大学でも、常に自分に出来ることを考えながらやってきた。それに、誰にも負けない自信を持ってやってきた。それはプロも大学も変わらなかったよ。
ただ大学サッカーの方が人付き合いが多かった。特にOBの存在が大きかったかな。でもOBからの期待はすごく気持ちが良かった。これはプロにはない貴重な経験だったと思う。
―プロ・大学とサッカーをやってきて、思うことはありますか
実力の差は努力の差。実績の差は責任感の差。人物の差は苦労の差。
プロのとき試合に出られなくなって本当に辛い時期があった。それでも結果を受け止めて練習し続けた。泣きそうになりながら練習したときもあった。そんなときに父親からこの言葉を送られた。
誰でも大なり小なり壁はある。何があっても前向きに頑張り続けてほしい。壁を与えてくれてありがとう、くらいの気持ちでね。
―これからJリーグで再スタートを切るわけですが、目標はありますか
慶大を卒業してプロになるということで、自分はもう一人ではない。応援してくれる人がたくさんいる。
それから、今年1月には結婚もする。家族を守っていかなければならない。多くの人の期待を忘れずにやっていきたい。
聞き手=有賀真吾