慶大理工学部(当時工学部)の初代学部長・谷村豊太郎は「すぐに役に立つ教育はすぐ役に立たなくなる」という言葉を残している。「教育」を「研究」や「人間」に換えても意味は変わらない。

「基礎研究」という言葉がある。文字通り科学の原理を解明するための研究を指す。今回は慶大理工学部長の青山藤詞郎教授に、「科学の基礎」の重要性を伺った。

基礎に根ざした研究は将来至る所で役に立ち、実用化される。逆に小手先の技術は長続きしない。青山教授はこれを「基礎の上に花が咲き、成果が実る」と表現した。

日本の「近視」問題

世間では基礎研究をあまり重要視しない風潮が強くなっている。「究明」自体が目的なので即時的な利益や実用化を期待できず、また膨大な資金と時間を必要とするため、短絡的な見方をすればハイリスク・ローリターンであるように思えるのだ。

「研究費」は、大学所属の研究者なら経常費から支給されるものの、十分でないことが多い。研究者は必要な資金を獲得するため、国の機関に働きかけたり、産業界との共同研究という形をとったりする。この手の外部資金は「競争的資金」と呼ばれ、無差別に獲得できるわけではなく、研究内容や過去の実績などが審査される。資本は無限ではないのでこれは仕方ないことだ。しかし問題は、国も企業も「役に立つ」すなわち数年以内の利益創出が見越せる研究を優遇する点にある。リターンが見えにくい基礎研究は資金の獲得が難しい。

「役に立つ」とは何か

この現状に警笛を鳴らす研究者は多い。今年度ノーベル医学・生理学賞を受賞する大隅良典氏もその一人だ。「『役に立つ』という言葉が社会を駄目にしている」とは氏の言葉である。

よく考えてみると奇妙な話だ。青山教授は「『革新的な研究』とは『人のやっていない研究をする』こと。『見通しが立っている研究』は本当に『研究』と言えるのでしょうか」と指摘する。即時的な利益は魅力的だ。しかし基礎研究は、息が長いだけで、成果の広がりや独創性を生み出す鍵になる。そういう意味で、基礎研究は役に立たないというのは間違った認識だ。

慶應の土台づくり

近年は基礎研究や若手研究者の育成に力を入れる大学や機関が増えつつある。例えば慶大は2‌0‌1‌4年に「KiPAS」を設立した。「慶應から基礎科学を世界に」という理念の下、若手・中堅研究者をサポートする機関だ。現在は4人の主任研究員が選出され、5年というまとまった期間、講義や会議を免除され研究に集中できる環境が整えられている。

また、青山教授は「基礎」の一環として海外留学の意義にも言及した。「若いうちにどんどん国外に出てほしい」。一流の研究者や研究機関に出会えるだけでなく、異なる文化や思想に触れることで独創性が育まれる。さらに、そこでできた人間関係が将来的にモノを言うことも、割と多いらしい。これはどの学問にも当てはまることだろう。

目先の利益だけでは広がりも独創性も、持続する利益も得られない。長い目で見ることが大切だ。    
(玉谷大知)