ひとりでも、家電メーカー。

小規模ベンチャーでありながらシンプルでデザイン性の高い家電を世に送り出している企業UPQ(アップ・キュー)。CEOの中澤優子氏自らが製品を企画し販売している。新しいものづくり企業はどのようにして生まれたのか、話を聞いた。

中澤氏は都内で高校生活を送り、現役で中央大学経済学部に合格した。しかしキャンパスの立地が八王子と自宅から離れていたこともあり、大学生活やサークル活動を謳歌する気にはなれなかった。そこで彼女は在学期間の目標を「職探し」とはっきり設定し、1年生の時には睡眠もそこそこに学校の単位取得とアルバイトにいそしんだ。

複数のコンビニエンスストアに勤めて各社の違いを学んだり、複数の飲食店のオープニングスタッフとして働いたりと企業の内側を体験していく中で、彼女はより詳しく企業のあり方について知りたくなった。2年生に進級すると、すぐに上級生に立ち混じって就職活動を始め、各業種延べ100社を超える企業にエントリーシートを送った。企業面接を重ねるうちに惹かれていったのは製造業の人々が持つ製品への熱い思いだった。3年生進級後は就職希望先を製造業に決め、本格的に就職活動を始めた。自らの強みを考える中で出てきた答えは「ケータイ」だった。

中学生のときに初めて持って以来、彼女はその進化を目の当たりにしていた。携帯電話を製造している企業の入社試験を受け続け、そのうちの1社から内定を得た。

就職後、望んでいた職場での忙しい日々にやりがいを感じていた彼女だったが、携帯電話を取り巻く環境は急変する。iPhoneなどの他社製品が市場を席巻し、多くの国内メーカーは携帯電話開発から手を引いていった。ハードウェアの分野で活躍してきたベテラン技術者の中にも厭戦ムードが立ちこめ、多くが自信と職を失った。

中澤氏は勤めていた会社をやめ、しばらくフリーランスのプランナーとして活動した後、カフェをオープンすることを思い立った。会社で培った商品企画やマネジメントの知識は分野が変わっても本質は同じだという考えと、なにより同じ職場で働いてきた同僚達の憩いの場を電気街秋葉原につくりたいとの思いから、1人でメニューや内装を手がけ、少予算、短期間で開店にこぎつけた。

無事に店を軌道に載せたころ、「やっぱり電気の通ったものづくりが難しくて、面白い」という思いが彼女を捉えはじめる。就職したての頃に読んだ総務省の資料にあった「SIMロックフリー」がこれから市民権を得ると予測を立て、自分がスマートフォン市場に参入したら面白いことができるのではないかと製造する方法を模索し始めた。

スタイリッシュな外見も特徴のひとつ
スタイリッシュな外見も特徴のひとつ

そんな中、海外の工場に製造を任せると小ロットからでも製品を作れることがわかった。単身中国へと乗り込み工場と直接交渉をはじめた。「シンプルで、買った人が簡単に自分のモノのよさを自慢できる製品をつくろう」との思いから、高速回線での通信やSIMロックフリーなどマストなもの以外を徹底的にそぎ落としたスマートフォンを企画すると、単価1万数千円でも利益が出せることがわかった。そのほかにも会社員時代に携帯電話を開発する中で得たイヤフォンジャックの知識を使ってヘッドフォンを製品化したり、タッチパネルの技術を使ってガラス製のキーボードを作ったりと、商品のラインアップを増やしていった。

「シンプルにしたらスマートフォンやキーボードのような既存の製品カテゴリでも戦うことはできる。元気のなくなった製造業の人たちに自分達もまだやれるねって思ってもらえたら嬉しい。他の企業に塗り替えられるのではないかと言われるけど、どうぞ塗り替えてくださいと思っている。ものづくりの魅力を伝えることができる人が、これからもいてほしい」

彼女の目はどこまでもまっすぐに、日本の家電製造業の未来へと向けられていた。
(田島健志)