Teach For Japan(以下TFJ)は世界38カ国に広がる国際NPO法人Teach For Allを構成する団体だ。TFJをはじめ、Teach For America、Teach For Australiaといったそれぞれの国の団体は独立しており、決してどこかの団体の下部団体というわけではない。世界の国々それぞれが抱える特有の教育問題に対応するため、各団体が独自に活動しながら互いに連携することによって、世界全体で教育課題の解決を早めようとしている。

現在の日本が抱える特有の教育問題だが、それを考えるには、まず日本の公教育のすばらしさについて知る必要がある。日本の子どもの学力は世界的なテストをもとに考えると各国の中でもトップレベルであるし、識字率もほぼ100%と非常に高い。

しかし、従来の知識を詰め込む「20世紀型教育」はうまくいっていたものの、知識の運用に重きが置かれる「21世紀型教育」はうまくいっているとはいい難い。ここが問題だ。子どもが自分で考えることを推進する「ゆとり教育」が一時期話題になり、批判されたりしたが、「ゆとり教育」自体に非があるというよりは、それを適切に運用できるだけの教員がいなかったことが問題だった。

個人的に教員は大変尊い存在であると思っているが、教員育成の現状には問題点がある。現在の優秀な学生は法学部など偏差値の高い学部から順に収まっていく。戦前は高等師範学校などを卒業した優秀なエリートが教員となっていたが、現在の教育学部の地位は低く、望まずして入った学生も少なくない。さらに教育学部の優秀な学生は一般企業に就職してしまうことが多かったり、教員免許の取得自体が就職の保険でしかなかったりする。

さらに教育学部の閉鎖的な環境も問題だ。法学部や経済学部などは企業インターンやビジネスコンテストによって他校との交流する機会が多い。しかし教育学部から教員になろうとすれば、インターン先は学校になる。限られた世界だけをみて、社会のリアルな姿を知ることなしに教員になってしまうことになる。

就職後に教員のおかれている状況も好ましいといえない。「モンスターペアレント」というような言葉が一般的になってくると、多くの人々が教員という職業に対するネガティブなイメージを持つようになった。

これから5年の間にはさらに劇的な教育現場の変化が起こるだろう。例えば、リクルートが提供している教育コンテンツは月額980円で有名講師の授業動画を観ることができるように、今日の社会では知識自体の獲得は容易になった。さらに学習指導要領が改訂され、クリティカルシンキングなどの単語が盛り込まれるようになった。センター試験は廃止され、到達度テストに移行し、デジタル教科書など教育へのIT技術の導入も進んでいく。より教員の力が問われていくことになるだろう。

TFJでは現在の教育問題に取り組み、「21世紀型教育」に対応できる人材の育成に力を入れている。TFJには新卒はもちろん省庁や商社に勤務していた人やプロサッカー選手だった人など様々なバックグラウンドを持ったメンバーがおり、彼らは教員として2年間学校に派遣され、他の教員や地域を巻き込んで問題解決にあたる。これには大変なリーダーシップが必要で、TFJはそういったリーダーの素質がある人材を採用している。2年の活動のあと、なかには省庁やマッキンゼーなどの企業に就職をする人もいるが、「現場」を経験した彼らは寄付などを通してその後も継続的に教育に関する貢献を行ってくれている。そのうちTFJに携わった人が教育現場での経験を生かして官僚や文部科学大臣などの政治家として教育問題にあたってくれることを期待している。

また、たった2年だけですべての問題を解決するというのは難しいかもしれないが、そこで得ることのできる教育現場での体験や、周りの人を抱き込んで問題解決にあたるリアルなリーダーシップは他の分野に進んでもその人の人生において大きなプラスになることは間違いない。

TFJでは10月5日から一週間をジャパンティーチャーズウィークと定め教員の地位向上も目指している。多くの人が持つ教師へのネガティブなイメージを払拭してアメリカのTFAがアイビーリーガーの人気就職先であるように、日本でも教員を就職先で1位にしたいと考えている。

組織としてのTFJをみると、「寄付型NPO」というかたちをとっている。NPOと営利企業の違いだが、結論から言うと違いはない。「非営利企業」といわれるがためによく勘違いをされるが、NPOであっても利益を上げてよいし、社会をより良くしようという思いは営利の会社でも非営利の会社でもかわらない。また、最近では大きな営利企業であっても社会貢献活動などを行うようになってきて、ますますその境目は曖昧なものになってきている。

強いて違いを挙げるならば、営利企業は株主が出資をするので株主の意見が強く反映されたり、期待がかかったりしてくる。株主の中には配当を重視してその会社の事業にはあまり関心のない人もいるかもしれない。一方、寄付形のNPOは事業内容に賛同してくれる方から寄付をいただいて活動をするので株主の意向に左右されることはない。

また、働く親の代わりに病児を預かる活動を行っている「フローレンス」は利用者から保育料をもらって活動することが可能なのでより営利企業に近い「事業型NPO」のかたちをとっている。しかし、貧困救済などの活動をする団体であれば利用者からお金をいただくということは難しい。つまり取り組む内容によってその組織のとれるかたちがある程度規定されることになる。

そういったことを考慮すると、団体の形は事業内容によって選ぶのが望ましいということになる。

また、「寄付型NPO」に関していうと、よく日本では寄付が集まらないといわれる。しかし日本に寄付文化がない訳ではない。実際、東日本大震災の時には多額の寄付が日本中から集まっている。今、一部の寄付型NPOがうまく行かないのは、ただ、説明が不十分であることが問題なのだと考えている。NPOの中には寄付いただいた資金の使い道がグレーになってしまっているところがある。多くの寄付をいただいているのに、説明が不十分だと寄付者も納得してくれないだろう。信頼される団体になるために運営の透明性を保つのもNPOにとっては重要だ。

NPOはこれから社会にとって大きな役割を果たして行かざるを得ない。日本のリソースはどんどん少なくなってきた。少子高齢化が進んでいるし、国の借金は膨らんでいる。問題解決にあたるためにはNPOが営利企業の満たせない人々のニーズを埋めていくことになるだろう。時代の波を見極め、目指す理想の達成のためにNPOは社会の空いたスペースを埋めることのできる「ピース」になる必要がある。
      (田島健志)