何を伝えるのか 手段としての英語を

小学校三年生から外国語活動に身を置き、五年生から正式教科化された英語を習う。中学受験では英語問題を解き、大学受験でももちろん高度な英語能力を求められる。就活のためTOEICのスコアを必死にあげる。

このような英語漬けの人生はまだ想像し難いかもしれないが、いずれ全ての子供たちに降りかかる可能性がある。文科省は今、英語教育の大幅な改革を検討している。全ては「グローバル化」に対応した人間になるためだ。慶大も昨年9月に大学の国際化に力を置く「スーパーグローバル大学」の一つに選定された。

世の中が「グローバル化」という言葉に盲目的に飛びつき、とにかく英語を習得することばかり強調されている。

社会が求めるグローバル化に対応した人間になるには、英語力さえあればそれでいいのだろうか。疑問に答えて下さったのは本大学名誉教授で明海大学外国語学部・大学院応用言語学研究科教授の大津由紀雄氏だ。

専任として勤めた25年間を通して見ても、慶大は「他の大学に比べれば高い水準の英語教育を行っている」という。しかし授業で英語の文献を読んでいると、25年前と今とでは学生の英語の実力がかなり落ちてきていると感じると言う。

以前より英語教育が活発化したのに、なぜこのような状況に陥っているのか。それは世間が「使える英語」を強く求めようとしてきたことにある。

確かに今の学生は外国人に積極的に英語で話しかける能力は高くなった。しかし、いざ話してみても何を話せばいいのかわかっていない。相手が言っていることを理解する力がなく、中身のある会話ができない学生も多い。

その要因は、英語を習得することに躍起になり、思考力、とりわけ批判的な思考力を育んでこなかったことにある。人が言っていることを鵜呑みにし、自分の意見を持たない。こうした現状を克服し批判的思考を身につけるには、好奇心と探求心を持つことが有効だ。また文章を書くなど、思考を外部化する訓練によって思考力が定着する。

学生にこのような力を求める一方で、大学側も教育方針を転換する必要があるだろう。大学3、4年で専門教育課程に入ると、英語の文献を読んだ上で、英語で話し書く能力が必要になる。これに対応するべく、高校で培った複雑な構造の文章を読む力を伸ばす教育が、大学には求められる。

大学によってはTOEICのスコアアップ講座も多数準備しているところもある。点数を上げるために就活用TOEIC塾に行く学生もいる。しかしそれだけを目標にしては、中身のない英語能力しか身につかない。「スコアアップを励みとして、将来どの分野に進んでも使えるような英語の基礎力を身につけてほしい」と教授は語った。

「グローバル化に対応した人=英語ができる」という短絡的な考え方は通用しないようだ。考える力をきちんと身に着けた上で、それを英語で体現できる人。それこそが、私たちが目指すべき姿だろう。
(山下菜生)