「和紙文化辞典」作成にも携わった浅野氏
「和紙文化辞典」作成にも携わった浅野氏

2020年を「和」のオリンピックに
聖書の紙が日本生まれと知ったら、日本人は驚くだろうか。百年ほど前のことである。当時のイギリスには薄い紙がなく、聖書に適した紙を探し求めて世界を駆け回っていた。そこで薄くて裏うつりもしない紙、「名塩和紙」という兵庫県の和紙の製造方法が選ばれたということだ。

昨年11月、日本の和紙の紙すき技術が、ユネスコ無形文化遺産に認定された。登録申請の目的の一つには、技術後継者不足の解消がある。

和紙はかつて、書きものだけでなく、障子や照明などの日用品として使われていた。ところが近代以降、生活様式が洋風化し中国から安価な紙を輸入し始めると、日本における和紙の需要は激減した。1901年では6万戸を超えていた生産戸数は、2001年にはとうとう400戸を割った。

「無形文化」である紙すき技術を身につけるには、門下に入り数年間の修行を積むという内弟子が主であった。時間をかけて師匠の手から弟子の手へ。何百年も繰り返されてきたその継承方法はたしかに尊いが、今ではより手軽に技術を習得できる道が現代人向けに開かれている。

例えば、いくつかの和紙生産地では、数週間から数ヶ月間にかけて研修コースが実施されている。この研修を受けると一通りの技術を学ぶことができる。近年では和紙の用語をまとめた「和紙文化辞典」なども発行されたため、有形化された知識については自力で学べるようになった。

実際に、こうした研修や書籍から身につけた知識を活かし、すでに話題を生み出している職人もいる。和紙をおしゃれな照明道具として商品展開したり、脱サラした職人が立ち上げた「さつま和紙」のように、和紙ブランドを新たに立ち上げたりと、現代に合った和紙の市場価値を見つけることが成功の鍵のようだ。

和紙職人を目指す人は現在でも少なくないが、和紙を生産する側に、職人を受け入れる余裕がない。このまま和紙の需要が減り続けたら、職人も技術もいずれ途絶えてしまうだろう。まず和紙の需要を増やす必要がある。

「招待状から賞状まで、和紙で作るんだ。いま目指しているのは、和のオリンピック」。東京に支店を持つ、わがみ堂株式会社の取締役社長である浅野昌平さんによる構想だ。2020年の東京オリンピックは、和紙の魅力を世界にアピールして市場を拡大するチャンスだ。

薄く繊細な見た目に反し、丈夫で利便性も高い和紙。使いどころは現代の生活でもたくさんあるはずだ。まずは私たち日本人が、和紙を上手に使って見せていくべきだろう。世界から認められたその技を、これからも守っていけるように。 (上山理紗子)