大学教員が語る「留学」 文学部非常勤講師 馬場 章君

 私が初めて留学したのは、大学院に在籍していた25歳の時。きっかけは、小学生の頃から海外に対し強い憧れを抱いていたことだ。そして自分の専門分野である日本史を海外の視点から見てみたいと思うようになり、カリフォルニア大学バークレー校へ留学した。

 アメリカでの最初の半年間は語学の勉強に費やされた。確かに、日本の高校1年生程度の語彙と文法知識があれば、英語で自分の意思を伝えることは可能だ。しかし実際の会話で飛び交う英語は、日本の学校で一般的に習う英語とは別物。初めは相手が何を言っているのか聞き取れなかった。さらに専門的な討論にも独特の文法があり、習得するのにとても苦労した。

 1年半、死に物狂いで勉強したはずだが、実は何を勉強したのかよく覚えていない。ただ一つ心に残っているものは、夕日が沈むサンフランシスコの金門橋。子供の頃からの憧れの風景だった。帰国前の送別会で大学の先生から激励の言葉をもらった時に、窓の外に見える金門橋が夕日を浴びて輝いていた光景は、今でも鮮明に覚えている。

 2度目の留学は就職後の34歳の時、行先はドイツのボン大学だった。アメリカにせよドイツにせよ、言葉や生活習慣の違いはあって当然。その上で、日本と欧米で学問に対する考え方が全く違うことには、強い衝撃を受けた。

 日本では「大学時代に勉強しなかった」、「社会に出て働く意欲が湧かない」といった消極的な理由で大学院に進学する学生が多い。他方欧米の学生は、明確な意識と目標を持って院へ進学し、研究に励む。私は学問に対する彼らの厳しさを見て、自分も含め日本の学生はまだ甘いな、と痛感した。私が研究者の道を選んだのも、留学先の学生に刺激されたからだと思う。

 もちろん、研究者になるためだけに留学するわけではない。私にとって留学は、自分や日本を相対化する契機として、非常に大きな役割を果たしてくれた。1週間程度の海外旅行で得られる経験も貴重だが、留学生として長期間滞在し生活しなければ分からないことは多い。若いうちに異文化に接触し、自分や日本を相対的に見る力を養うことはとても重要だ。だから、自分はもっと早い時期に留学するべきだった、と今思う。

 知識として持っていることと、実際に体験するのとでは全然違う。今でさえ、まだまだ自分の知らない世界があるのだ、と感じることがある。

 幕末から明治初期にかけて、日本人はそれぞれ政治的使命を帯びて欧米へ渡った。その中でも、一つの学問体系を形成するほどまで、欧米での体験を十分に消化・吸収した人物は、福澤諭吉くらいしかいない。だからこそ塾生には、積極的に留学し、福澤の精神を受け継いでもらいたい。

聞き手=小柳響子