実践、スロービューティ~外見が全てではない自分らしくキレイに

 電車内での化粧や小学生の化粧、男性の美容など、最近人々の間でキレイになることや美に対する意識がとても高まっている。意識が高まっているというよりはむしろ、人々がキレイや美に追い立てられているとも言える。今回はこうした美意識と社会的背景について、駒沢女子大学准教授で資生堂客員研究員の石田かおり氏にお話を伺った。

 まず、人々のキレイや美に対する意識が高まった要因は何なのか。最初に1920年代から始まる化粧品の大衆化が挙げられる。加えて1980年代以降のボディ・コンシャスの普及も挙げられる。ボディ・コンシャスとは、自分の身体は自分でコントロールすべきという意識である。これにより、人々は努力次第で遺伝的制約を越えてキレイなれることに気づいただけでなく、人は外見ではなく中身が大事という考え方が廃れて、現在のような外見第一の風潮が台頭するきっかけになった。この外見第一の意識も要因の1つである。

 しかし、これらの要因があるからといって、人の価値が外見だけで判断される社会になっていいわけではない。現代において、外見のキレイや美は若さと不可分に結びついているため、老人差別につながる可能性があるからだ。その片鱗は、最近のアンチエイジングの流行や美容整形の増加などに顕れている。人が歳をとるのは自然なことなのに、現代においてはそれに逆らうのが善しとされ、若返りの努力をしない人や金銭的理由で出来ない人が軽視されがちになっている。これはとても問題なことで、自然に歳を重ねたままの姿で生きると、生きにくくなりつつあるのだ。

 また、もう1つ問題なのが、人々のキレイや美の基準が自分の内ではなく外におかれていることだ。しかも、その基準は画一的なものなので、化粧や髪形や服装でおしゃれをした結果、皆似たような外見になってしまっている。美の価値基準が社会的にほとんど1つしかないために個人の外にあることになり、その外部の基準に自分を合わせているのが現状である。

 そこで大切なのが、石田氏が提唱するスロービューティという考え方だ。スロービューティとは、キレイや美の基準を自分の内部におくことから始まる。それが社会の中での美の価値基準の多様化に結びつく。さらに、自分の中にも多様な価値基準を認めることだ。また、スロービューティにとって、言葉遣いと立ち居振る舞いに気をつけて、教養を身につけることも重要だ。いくら外見がキレイでもこの三要素がなければ、キレイにはなれない。

 人間だれしもキレイな方がいいと思うのは当然である。しかし、もう少しそのキレイの幅を広げてみてはどうだろうか。その方が、きっと心も軽くなるはずである。

(北澤栄章)