春夏秋冬を具象化した美女の絵や、その周りを飾り立てる植物のポスター。アール・ヌーヴォーの先駆者のイメージがついて回る画家。19世紀末にヨーロッパで名声を博し、今なお世界中で多くの人々を魅了し続けるチェコの画家、アルフォンス・ミュシャ(1‌8‌6‌0―1‌9‌3‌9)だ。彼の展覧会が六本木の国立新美術館で3月8日から6月5日まで開催されている。

今回の展示の主役はミュシャが約16年もの歳月をかけ完成させた、全20作からなる《スラヴ叙事詩》だ。アール・ヌーヴォー全盛期にパリで成功を収めた後、彼は50歳で祖国に戻った。自らのルーツであるスラヴ民族の歴史を古代から遡り、絵として残すことに後半生を捧げるためだ。完成当時は「時代錯誤」と世間の厳しい目を向けられ、限られた期間しか人目に触れることのなかった作品だが、約1‌0‌0年が経ち、今回初めて海外で展示されることとなった。

会場に入り、まず私たちを待っているのは、連作一作目の〈原故郷のスラヴ民族〉だ。紀元後初期、現在のウクライナに当たる地に住むスラヴ民族は、東西から他民族の侵略に晒されていた。敵の襲撃の気配を感じ、目を見開き、怯えた様子を露わにする男女の表情は、一度目にするとなかなか忘れられないほど強烈だ。星空の色合いも印象的である。筆一本で、何と神秘的な世界を描き出すのだろう。侵略を恐れ、自然の神に運命を委ねる彼らの心境、そしてそこに生み出される独自の宇宙観をそこから想像せずにはいられない。

ただ歴史を模しただけではこれほどまでに観る者の心を揺さぶる作品にはならないだろう。私たちの見慣れたミュシャのポスターは良くも悪くもひたすら美しく、華やかに描くことに終始されている印象がある。しかしこの連作からは全く違う、画家人生をかけたと言っても過言ではない決死の覚悟が伝わってくるのだ。彼は制作過程で丹念に実地調査を行い、実際に多くのモデルを使って一人一人を描いた。その入念な作業と、現実と虚構を交わらせる見せ方、そして何より自身の祖国への想いがその迫力に繋がっているのではないだろうか。

ヨーロッパから遠く離れた日本に生まれたにも関わらず、この連作を見ているとスラヴ民族の苦難の歴史に思いを馳せてしまう。天井に届くくらいの圧倒的なスケールで描かれた作品たちは、当時のミュシャに思わず自分を投影させてしまうような不思議な凄みさえ持つのだ。

《スラヴ叙事詩》はタッチや色使いから私たちの良く知るミュシャを想起させつつも、多くの人が知ることのなかった彼の人生の一片を見せてくれる。会場に足を運んだ後にはスメタナの『わが祖国』を聴くことを是非おすすめしたい。
(友部祥代)