福島の報道現場を語る橋本氏

メディアコミュニケーション研究所が公開講座「福島、3・11報道の現場」を先月28日、三田キャンパス北館ホールで開催した。講師に同所出身で共同通信社記者の橋本亮氏を招いた。橋本氏は事故以前の福島を知っている一般記者の立場から、報道の現場とあり方を中心に語った。講演は法学部長の大石裕教授が聞き手として登壇し、対話形式で行われた。               (鈴木悠紀子)

講師の橋本氏は2008年に慶大法学部法律学科を卒業後、昨年10月まで福島県に勤務。東日本大震災直後から主に県や東京電力の原子力発電所事故への対応を取材した。同講座では津波と放射能が襲った現地の報道体制について主に語った。 初めに事故以前の原発を巡る報道について振り返った。原発事故は起きないという安全神話に対して、記者の問題意識は薄かったという。「福島には、原発の専門知識を持つ記者がいなかったので、安全神話を否定する材料を見つけられなかった」 また、東京電力は透明性を高めるためにどんなに小さなトラブルでも報告してきた。それが日常化して意識が薄れてしまったことにも触れた。東京電力が広告主だったから批判出来なかったのではないかという報道機関への世間からの厳しい声には、「全く考えていなかったし上からの指示もなかった」と否定した。 無批判な報道の中、地元住民が原発の是非に関心を持っているかを取材する意識もあまりなかったという。

「街ネタを中心に取材していた」日常は大震災を境に激変する。3月12日朝に上空から被害の状況を目にした。恐怖感に駆られ「足を踏み出す意識がなくなった」。「チリ地震の津波が想定外だったことの教訓もあり、安全第一の取材が呼び掛けられていた。私はそこに甘えてしまい、別の記者が危険な場所で取材しようとしているのを必死に制御した」と振り返った。

また、放射性物質の拡散を受けて政府が設定した避難区域への取材でも、報道機関の安全への意識は根強く「避難区域に他社が入って記事を出すと、追い掛けて入るような、チキンレースのような状況だった」。他社に先駆けて報じることよりも横並び意識が強かったことを指摘。さらに、福島県の現場には専門知識のある記者がいなかったため、原発事故の状況を取材する中で「東電に素人目線からの質問を繰り返し、時間を浪費してしまった」「知識を備えた記者なら分かる危険な事象が発表されても、分からない場面があった」ことも語った。 震災後、報道機関への批判が起きたが、橋本氏は、「他社伺い」かつ「当局重視の報道」になったことや「(放射性物質の)素人による情報処理」になったことを挙げ、自身を含めた当時報道にあたった記者を批判した。「今回の原発報道で十字架を背負ってしまった。でも、当時現場で取材に当たった記者の多くが次はどうすべきかを考えている。この経験を次にいかさなければならない」と最後に語った。

講演後、質問の時間が設けられ、意見交換が行われた。