【つれづれ評論】『読んでいない本について堂々と語る方法』ピエール・バイヤール著/大浦康介訳

2008年 筑摩書房

 「常識」として語れる書籍がなくなった――そんな声をどこかで耳にしたような気がするが、読書にまつわる「常識」のハードルは依然として高いように思われる。
 プラトン、シェークスピア、デカルト、カント、ゲーテ、バルザック、ディケンズ、マルクス、バックデクスター、ドストエフスキー、トルストイ、ニーチェ、ウェーバー、カフカ、ヘミングウェイ、サルトル、カミュ、サリンジャー。誰が決めたか知らないが、「これくらいは読んでおいて当然よ」といった雰囲気を醸し出す作品が余りに多すぎやしないだろうか。
 事情は日本国内に関しても同じこと。森鴎外、夏目漱石、樋口一葉、志賀直哉、芥川龍之介、宮沢賢治、川端康成、小林秀雄、小林多喜二、太宰治、丸山眞男、遠藤周作、司馬遼太郎、吉本隆明、三島由紀夫、大江健三郎、村上春樹……おっと忘れてはならない、我らが母校の創立者福澤諭吉。
 さらに最近は、誇り高き日本の文化「マンガ」も加わるようになった。お陰さまで『スラムダンク』や『ドラゴンボール』を読んでいない人物は非国民扱いである。
 そんな読書事情に内心ビクビクしながら日々を生きる人々に紹介したいのが本書である。フランスで刊行されるや否や、直ちにベストセラーになり各国で翻訳されたというから、読書を取りまく見栄とプライドにまみれた状況は万国共通のものなのかもしれない。
 しかし大学で文学を教えているという著者は、冒頭からそんな事情などにお構いはしない。曰く「大事なのは、しかじかの本を読むことではなく(そんなのは時間の浪費である)……『全体の見晴し』をつかんでいることである」。
 そして著者は、古今東西の様々な小説(日本人にはなじみ深い、夏目漱石のあの作品も登場する)を引用。登場人物がいかに「読んでいない本について語る」シチュエーションをやり過ごしていったかを細かく解説し、身も蓋もないような結論を導き出していく。嬉しいことに各章ごとに要約もある。
 本書を安っぽいハウツー本や文学者によるおふざけとして読むことも可能だろう。そもそもタイトル自体が胡散臭い。
 しかし著者は、実に興味深い「仕掛け」を文中に施している。「仕掛け」が分かれば、この本の違った姿が見えてくるはずだ。面倒な方は「訳者あとがき」だけでも読んでほしい。
 「仕掛け」と関連して最後に告白するが、実はこの文章、締め切りを前に編集長に脅えながら慌てて書いているものだ。冒頭の人物名を羅列した箇所など、うっかり架空の人物が紛れ込んでしまっているかもしれない。
                                                       (花田亮輔)