無数の灯(ともしび)が、原爆ドーム前を流れていく。その一つ一つの灯は数色の色紙に包まれ、側面にはピースメッセージが刻まれている。この独特な幻想的光景は、毎年8月6日の夜に行われている、広島の「とうろう流し」で見られる。

広島のとうろう流しは、自然発生的に行われるようになったもので、元来、原爆で大火傷を負い、川で亡くなった人たちを弔うために遺族が始めたと考えられている。広島には盆灯籠という数色の色紙で作られた灯籠をお盆に飾る文化がある。この盆灯籠と日本古来の精霊流しの風習が合わさって現在のとうろう流しが生まれた。

このとうろう流しに参加する人は、大きく2つに分けられる。半数以上を占めるのが、被爆者の遺族だ。川で亡くなったため遺体のない遺族にとって、とうろう流しはお墓参りのようなものである。遺族は高齢者が多いこともあり、比較的涼しい午前中に来場者から灯籠を預かって、まとめて船から流すことが多いという。その一方で、最近では観光客が増えている。ピースメッセージを灯籠に記し、自分の手で原爆ドーム前の元安川に流すこの行事は、今では広島の夏の風物詩となっている。観光客の増加もあり、今年は昨年よりも多い1万個の灯籠が用意された。

この行事は、地元の商店街の人々やボランティアによる協力のもとで行われている。ボランティアとして「とうろう流しを支える市民」に参加した深川さんは、「海外に平和のことを伝えたいと思って参加した。原爆に直接関わっていない人でも、原爆で命をなくされた方々に祈りを捧げることができる」と話した。

実際に記者が川に浮かべてみると、灯籠は川の流れに任せてゆっくりと進んでいった。この日は満ち潮のため川の流れが特に遅く、灯籠を手放した後もしばらくはその行方を見守ることができた。ピースメッセージが書かれた一つ一つの灯籠が列をなして光る景色はとても神秘的なものだ。

広島市中央部商店街振興組合連合会の専務理事で、とうろう流し実行委員会の委員を務める若狭利康さんは、県外から訪れる観光客に向けて次のように話した。「とうろう流しの始まりは、川で亡くなった人への慰霊と追悼という意味合いがある。そのため、それぞれの灯籠の灯がこの川で亡くなった方への命の灯だということを頭の片隅に置いてもらいたい。そう思っていただくと、この灯籠の見え方が少し変わってくるのではないだろうか」

今年で終戦72年。戦争を直接体験した人々は減ってきているが、このような行事のおかげで平和への想いは続いていく。毎年8月6日を迎えたら、広島県外からでも戦争と平和について想いを巡らせてほしい。
(川津徹朗)